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●2021年1月の日記 【下旬】

1月21日(木)

予定していた仕事がなくなってしまい(緊急事態宣言の影響だ)、家にいる。仕事がないのつらい。仕事に行きたい。仕事によって外に連れ出されないかぎり早春のわたしは家でうじうじし続けてしまう。いつまでだってうじうじしていられるのだ、早春のわたしは。なんなんだ。早春と相性わるすぎ。春が来るのうれしいつもりなのにどうして毎年こうなるんだよ。
…どうしてもなにも、この季節は日によってとか朝晩とか寒暖差がなかなかあるから自律神経ととのってないわたしみたいなやつの心身は外気温の変化でいとも簡単に振り回されちゃってるんだろう。自律神経ととのえる?しんど。

1月22日(金)

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子どもを連れて大宮の鉄道博物館に行った。家から大宮は近い。行きも帰りも交通機関はガラガラ、鉄道博物館の建物にいたっては近所の公園より人を見ずに過ごせて快適だった。長居しちゃった。

わざわざてっぱくまで行って
落ち込んでいた記録

1月23日(土)

チープなマニキュアぬった。食器洗うときお湯をつい使っちゃうせいで爪のまわりがぽろぽろに崩れてる。そのようすが気もちの荒れをそのまんま反映したみたいで不快でみてらんなくて色をぬりぬりした。爪がぼこぼこの上にそのままぬったからあんまりきれいにならなくてあーあってかんじだった。夫と子どもは出かけてたから昼はレトルトカレー。つかの間の怠惰なひとり暮らしみたいでちょっとだけ、よかったな。

1月24日(日)

昼寝からなかなか目覚めなかった子どもが17時になって起き出して「おさんぽいく」というから、昼から準備ばんたんだったわたしが「オッケー!」と外に連れだした。暗いなか電車に乗って数駅先のスーパーでトミカとレゴを買ってアイス食べた。夜のおでかけ楽しい。夜とはいっても8時前には帰り着いたからよかった、なんとなく。

1月25日(月)

仕事の前にスープストックトーキョーでタイ風粥をたべていたら店内BGMにレイハラカミが鳴りだして感動した。自分でCDかけても感動するけど街でふいに耳にするとさらに感動しちゃう。がちがちに閉じたあたまと心がぽわっとほぐされる感覚。

仕事するの2週間ぶりとかで、水を得た魚のように元気になる予定だったんだけどふつうにぐったりした。あれー。それでも仕事中(ポーズ中/美術モデルの仕事をしている)だけはほんのり身体に火が灯ったみたいで少なくとも絶望はしていなかった。すきなんだよなあ。仕事。どんなときでも。少しは。

1月26日(火)

美容室に3時間滞在して髪型を整えてもらった。髪が多いからカットは伐採、て感じになる、毎回。大事なのはバクハツしないことで、髪型の格好よさやおしゃれさはとうに諦めている。この諦念をわかってくれる美容師にはなかなか出会えない。みんな髪で遊んでいておしゃれだもんね。髪質だってだいたい良いじゃん。髪質良いからできる遊びってあるからね。
でもわたしは奇跡的に髪が硬くて多い美容師に出会えたのだ。この人は髪が硬くて多いことの苦労を自分ごととしてわかるから、いつも髪質に寄り添った施術をしてくれる。髪が硬くて多いのに美容師になってくれてありがとう。まさか美容師と「(毛が多くて)シャンプーが入っていかない」「カット後1ヶ月で髪が1.5倍に膨れる」なんて話で盛り上がれると思ってなかった。最高にありがたい存在だ、髪が硬くて多い美容師!

そして髪が硬くて多い族はわたしに限らず皆、髪質への深い理解を切実に求めているから、この美容師さんのもとにはいつも髪が硬くて多い族が詰めかけていて大変そうだ。「昔からわたしのお客さまだけみんな髪が多いんですよねーなぜか」と首をかしげていた。みんな漂流のすえにたどり着くんだねえ。

1月27日(水)

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仕事先で着替えていたらくもがいた。
かべにいるちいさいくもはなんだかすき。

午後はどんどん日差しがなくなり、換気しながらの仕事はこごえる寒さだった。

1月28日(木)

雨予報を知らなくて子どもとのんきに出かけていた。出先で雪が降ってぼう然。
粉っぽい雪なら「あんまり濡れないからラッキー!」だが、これは触れたらすぐ水になるべちゃべちゃの雪だ。子どもをフードつきの上着でしっかり梱包してバス停まで走った。頭がじっとり濡れて、染めたばかりの髪から美容室の匂いがした。
バス車内から見ている間にも街に雪が積もりはじめた。子どもは買ったばかりのおもちゃを握りしめて眠っていた。この子が生まれた日にも雪が降っていた。もう何日かで誕生日だ。東京に雪が降る季節の生まれなのだなあ。

家に帰り着いてしばらくすると外の雪は雨に変わり、積もった分もすぐに消えてしまった。そのあまりのはやさに、惜しい気が少しした。

1月29日(金)

子どものうまれた日が近くなると産院での生活を思いだす。3年前のきょうの朝、わたしはタクシーで産院に行ってそのまま入院した。それから退院までの11日間、建物から一歩も出ずに過ごした。その小さな産院では異例というくらい長い入院だ。そこそこ難産だったのだ。

赤ちゃんとともに退院していつもの町に帰ると河津桜が咲いていた。快適だけれどほとんど光の入らない個室で過ごした11日間のあとには世界のすべてがまぶしかった。

今年も河津桜のつぼみが大きくふくらんでいる。もうすぐあの子は3さいになる。

1月30日(土)

夫が子どもを公園に連れ出していた昼のうちに紙の輪っかをつなぐかざりとHAPPY BIRTHDAYのフラッグを自作しておいて、夜子どもが眠りについてから夫とふたりで部屋にかざった。あした子どもの誕生日をパーッと祝うつもりなのだ。じっさいの誕生日はあしたよりもうちょっと先だけど、みんなで祝えるのは日曜日のあしただから前倒しでパーティだ。レイアウトに人一倍こだわりのある夫とちまちま修正をかさねながら飾りつけをするのは学芸会の前日みたいでなんとも楽しかった。

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子どもが生まれてうれしかったこと、その記念日に親たちが浮かれていること、子どもにもちょっとわかるだろうか。そうならいいな。

1月31日(日)

子ども3さいの誕生日を家で祝った。

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ふうせんだけでも大こうふんの子

ハッピーバースデー歌ったりケーキにロウソクたててフーッしたりプレゼント開封の儀をしているそばから家のチャイムがピンポンピンポン立て続けに鳴り親族からの追加プレゼントが続々届いて最高だった。子どものテンションは天井知らず、ごきげんのまま1日を駆け抜け、最後にはスイッチが切れて晩ごはんも食べず寝た。夢のなかでももらったばかりのリュックを背負ってあたらしいおもちゃで遊んでいそうだ。

急にしずかになった部屋で夫のつくったごはん(子どもに食べてもらえず残念そうだ)をいただきつつワインで乾杯した。父と母になって3年になる件についての乾杯。


1月中旬 | 2月上旬

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