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バズらなかった作品は悪なのか

少し期間が空きましたがやっと仕事が片付いたので再開を。
本日は共感のお話。
完全に自分が思ったことです。

”共感”が苦手

前回のnoteで過去に国語の感想で二次創作文書いてしまった話をしましたが、私は多勢と共感をするというのが苦手な方です。
地方の田舎に住んでる私はこれに何度も苦しめられた記憶があります。
狭い空間はどうしても「自分達とは別のもの」を排除したがる傾向にあるのでいじめの対象となったり触らぬぞんぜりみたいな対応をされていたことがあります。

とはいえ、自分の感性を否定することはしませんでした。
周りがどうあれ「それ」を感じた気持ちは自分だけものなので否定されたくはないなと子供ながらに思ったからです。
綺麗ごとかもしれませんが感じた事は尊重する方がいいと思ってます。

ただ共感が苦手ゆえにSNSなどで苦労することになるとは思ってもみませんでした

共感で得られる社会

よくイラストを描く際やSNSで何かをアップする時

”共感”できるものを投稿しましょう

とバズを狙いたい人用に書かれてるブログや動画を見かけます。
多勢の共感を得られる作品は確かに多くの票を獲得できると思います。
ここ数年ではバズれば仕事がもらえることなどもあって、それゆえ躍起になったり嫉妬したりする人も多くいることと思います。

私もその一人だったと思います。
ただ上記に記したように私は共感が苦手です。
絵でも映画等の感想でも同じものを見てもまったく違う感想をたくさん見た時は息苦しさを感じることもありました。

共感を得なかったものは悪いのか?

随分とこの言葉に悩みました。
ですが考えてみるときっと共感も時代やタイミング、その場の空気にに左右されやすいと思いました。
ニワカ知識ですが今では何億と値がつく有名なゴッホも生前は売れなかったと言われています。
きっとあの巨匠のレベルであればやろうと思えば売れる絵も描けたと思いますがそれでも自分の絵を描き続けたのだろうと”今の自分”にしか描けないものを描いたのだと思います(※あくまで想像です)

私は自分もそうでありたいと思います。

もしこれを読んで同じように悩んでる人がいたら、
”今のあなた”にしか描けない作品がきっとあるのでまずは続けてみてほしいと思っています。
一番自分の感じたことを共有している自分の感性を信じてください。

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