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渡部昇一流『四書五経』の解釈 260

😈 率先垂範(『大学』伝九章)
🌍 諸れを己れに有して、而る後に諸れを人に求む。

まず自分がやるべきことをやって、然るのちに他人にもやるように言いなさい、
という意味の言葉である。

例えば英語の先生が毎日英語の本を読むことを自分に課して実践していれば、
少なくともいい生徒は必ずついてくる。
そして、いい生徒がついてくれば、できない生徒も文句を言わなくなる。

会社ならば、社長や幹部が重役出勤をしている会社はダメになる、
ということだ。


2024年5月13日月曜日晴れのち雨14℃〜21℃


びっくりした‼️

人と別れる時は笑って別れたいものですが、そうはなかなか
問屋が卸しません。
別れには実に色々様々あります。
いずれの別れにせよ再会というのは難しいようです。
だから、愛し合っていればその別れはより一層辛いといえます。
未練が尾を引くのは当然ですね。が、憎しみあっていればどうでしょう。
平気ですんなり別れられるでしょうか。
この答えは「NO」ですね。
愛も憎しみも人間の感情という仕業です。
そして、それは人それぞれに違うものです。
一つのパーソナルティーと言えます。感情にも人格があるってことです。
共感や感情移入が存在するのもそのためです。
人は互いにわかり合いたいのですが、全てはできないものです。
だから、心の修養が必要になってきます。
心とは知・情・意で成り立っていると考えられています。
知とは知識であり、感情は情動・気分・情操などが含まれていて、非常に複雑な存在です。意とは考えです。つまり思考ですね。
ですから心はとてもわかりづらいものです。
だから、せめて自分の心だけは知っておきたいものです。
心の修養、つまり精神修養は自分のために行うものです。
そして、自分が見えてきたら幸福な気分になれます。
この幸福な気分を独り占めにしていてもいいですが、
この幸福感は人から様々なものをいただいた結果であり、
自分だけの力ではありません。だから、公布する必要があるのです。
とはいえ、人に同じように伝わるわけではありません。
どこで、誰が、どのようにしてそれを掴むのか見当もつきません。
その意味において、心の修養には終わりがないのです。
しかし、それを苦にすることはありません。
楽ではありませんが、楽しいものです。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊



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