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【SS】波に消えた(はずの)あいつ

「いらっしゃいませー」

「あの、花……いつもの、ください」

「はいはい、黄色い花ね。ちょうどヒマワリが入ってるから、それでいいかしら」

俺が無言で頷くと、花屋のおばちゃんはヒマワリと、ついでにいくつか俺が名前を知らない花を取り出して一緒にまとめた。
あっという間に、小さな黄色い花束が出来上がる。

「そっか、もうそんな日になるんだっけ? ほら、あんたと仲の良かったあの子の……」

「はい」

おばちゃんは俺の代わりに花束に結ぶリボンに向かって、憐れむような視線を投げかけた。

この小さな田舎町では、皆が皆知り合いみたいなもんで、隠しおおせることなんかほとんどない。だから、さっきのように知っていることをあえてとぼけて確認してくるし、思っていることを本人には直接ぶつけない。
俺のことも、あいつのことも、全部知っているからこその反応だ。

「ほら、できたよ」

「ありがとうございます」

代金を払って花束を受け取り、店を出ようとする俺の背中を、おばちゃんの声が追いかけた。

「いいかい、気をつけるんだよ。本当に、気をつけなね?」

「はい」

俺は振り返って軽く頭を下げると、港へと向かった。


港に着くと、俺は我が家の船を出した。
漁の時間以外に船を出す奴なんかそうそういないから、港も海もひっそりとしている。
今日は親父に船を出す許可を取っておくの忘れたな、と思ったが、どうせいつものことだから、事後報告でなんとかなるだろう。

しばらくして、船は港からは少し離れた岩場にさしかかった。5年前までは釣り人御用達だった場所だ。

俺は岩場に回り込んで船を隠すようにして船を停め、錨を入れた。
それから、持ってきていた花束を海へ向かって放り投げる。
黄色い花束は、青い波に揉まれてゆらゆらと落ち着きなく浮き沈みを繰り返した。

この場所は5年前、あいつが――俺の幼馴染で、唯一の親友が波の中に消えていった場所だ。
以来、地元の漁師も、他所から来た釣り人さえも寄り付かない場所となってしまっていた。
俺以外は。

なぜって、それは……

「あっ、久しぶりー! 毎月時間ピッタリだよね、ホント真面目なところは変わんないなー」

「うるせえよ。なんかお前、いっそう体が魚っぽくなってねーか? ウロコ、増えてんぞ。人魚っていうか魚人寄り」

「えっマジで? ねえ、鏡ある?」

「冗談」

「ちょっと!」

そう。
俺の幼馴染は、こいつは、波の中に消えはしたが死んではいないのだ。


どういうことかと言うと、こいつは海の中で生きている。
本当に、全く、信じられないことだが、なんと人魚として。

初めて会ったのは3年前の、俺が親父の漁を手伝い始めたばかりの頃だ。
その日は、たまたま親父が持病の痛風を悪化させて漁に出られず、俺がひとりで出ていた。

漁を終え、そろそろ港へ帰ろうかというとき、急に右舷の船尾近くに何かがぶつかるような衝撃があった。
慌てて見に行こうとすると、すぐに声がした。本当なら聞こえないはずの声が。

「あ、コウタ! やっぱりコウタだ!」

死んだはずの幼馴染が俺を呼ぶ声を耳にして、俺は胸が潰れるような衝撃でその場から動けなくなった。

――なんであいつの声が? 幻聴か? いや、それにしてははっきりしすぎている。でもどうして?
――だってあいつは、死んじまったじゃないか。

そんな考えが一瞬のうちに駆け巡る中、あいつはざぶん、と音を立てて俺がいる右舷の真ん中あたりの縁を掴むと、そのままそこへ肘をかけて頬杖をついた。
そして、あまりの驚きで倒れそうな俺に昔と全く変わらない調子で

「あのさ、お願いがあるんだけど、シラカワさんでおまんじゅう買ってきてくれない?」

と、のんきに言ったのだった。


以来、俺はこいつの月命日(ということに陸ではなっている)の日に、好物の茶まんじゅうを持ってくることになった。
陸の上では、親友の月命日に花と好物を供えに行っていると思われているが、月命日を選んでいるのと、花を持ってくるのは周りの人間へのカモフラージュの役割が大きい。
ちなみに黄色い花をもってくるのは、こいつのリクエストだ。
単に好きな色だから、らしい。

「ほらよ、まんじゅう」

俺が岩場に向かってまんじゅうの入った紙袋を投げると、あいつは嬉しそうに岩場に上がってそれを拾い上げ、中を覗く。

「やったー! いつもありがと!」

水かきですっかりつながった指で器用にまんじゅうの包装を開け、あいつは子供のように嬉しそうな顔で大口を開けて頬張った。


こんな調子で毎月会って話を重ねていくうち、いろいろと理解できないながらも状況を把握してきた。

こいつは、釣り中の事故で波にさらわれたのではなく、自ら望んで死ぬつもりで海に入ったこと。

本人にもどういうわけかわからないが、息が苦しいという限界を超えたら、なぜか苦しくなくなって、自由に海の中を泳げるようになったこと。

いつの間にか体の形も変わって、足がくっついてウロコに覆われて魚の尾びれのようになったし、手の水かきも大きくなっていったこと。

たまたま俺を見かけたら声をかけたくてしかたなくなってしまったこと。

ついでに、なぜか好物のシラカワのまんじゅうがめちゃくちゃ食べたくなったこと。

何度情報を整理しても理解できないことだらけだが、とにかく、こいつは海の中に適応して、絵本に出てくる人魚みたいな姿になって、生きていた。
さすがに誰にも言うことができずに、この海底まで沈んでしまいそうな不思議で重たい秘密を抱えて、俺はこうして毎月、こいつにまんじゅうを届けに来ているのだった。

「ねえねえ、おまんじゅうの他にもうひとつ入ってるの、なあにー?」

「ああ、おまけでもらった。新作のいちじく大福だとよ」

「いちじく! 果物食べるのなんて何年ぶりだろ。陸の上の食べ物って、今はおまんじゅうくらいしか思い出さないもんなー」

「なあ」

「ん?」

「陸には、帰らねえのか。おじ……親父さんやおふくろさんに会いたいとか……そういうの、」

自分で自分の言葉にハッとして、俺はそこで言うのをやめてしまった。
こいつが人魚になってしまったということと同じくらい、俺はずっと疑問に思っていたのだ。

『なんで、お前は死ぬつもりで海に入ったんだ』と。

俺が知る限り、こいつは明るくて、学校の成績も良くて、俺みたいに両親といがみ合って思春期を過ごしていたわけでもなくて。
だから、「死んだ」という話を聞いたとき、信じられなかった。
空の棺を花で埋め尽くして泣き崩れるおじさんやおばさんの姿を見ながら、俺は「悲しい」ではなく「なぜ」と今までずっと考え続けていた。

けれど、それを本人に聞くのがなぜだかとても恐ろしくて、俺はその疑問を心の底で錨でもって留めていたのに。そのはずなのに。
心のなかで慌てふためく俺に、あいつは悲しげに微笑んだ。

「帰れないよ。もう、陸の上では生きていけない。わかるでしょ」

つやつやと藍色に輝く、かつて足だったヒレでぺたんと岩場を叩くと、あいつは言葉を続ける。

「ずっと、陸の上では息が苦しいなって思ってたんだ。自分の生きてる場所ってなにか違う、合ってないなって。楽しくしなくちゃと思って一生懸命頑張ってたんだけど、いつもつらくて」

5年の間に伸び放題になった濡れた髪が、うつむくあいつの顔を隠していく。

俺は、初めてあいつが語ったことにちょっとしたショックを受けていた。
あいつが思っていたことを全く知らずに、教えてももらえずに、俺は明るい幼馴染だと、親友だと一方的に思っていたっていうことか。

「いつも、海の中にでも行きたいなって思ってた。海の中なら自由に息ができるんじゃないかって。あの日、なぜか『ああ、今なら海の中に行けるかもしれない』って思っちゃったんだよね。実際そうだったのはびっくりしたけど」

あいつは急に海へ飛び込んで音もなく泳いだかと思うと、俺のいる船の縁を掴み、勢いをつけてそのまま甲板へと上がってきた。
俺は思わず一歩後ずさりをした。これだけ間近であいつの全身を目にするのは初めてのことだったからだ。

「ほらね。コウタだってちょっとびっくりしてるでしょ」

腰のあたりまで伸びた髪、青白いというよりは青みがかった肌、体のあちこちを覆うウロコの塊。そして、大きな尾びれのようになった下半身。
毎月会っているとはいえ、驚くなというほうが無理だ。

「だから、ここが限界。コウタがいてくれる船の上、ここが息ができる陸の限界」

「そうか」

俺はどうにかその3文字を喉から絞り出した。そして、一度大きく深呼吸をしてから、

「ここなら、辛くないのか」

「うん」

「なら、ここがお前の陸だ。お前がそれでいいんだったら、そうしてくれ」

とだけ言った。

「うん。ありがと」

ウロコが頬を覆いはじめた青いその顔が、パッと明るくなった。
夕日のせいだ。気づけば、もう日が暮れかけていた。

「もう帰るね。おまんじゅうも大福もおいしかった。ありがとう」

「おう。また来月な」

「うん、また来月。おまんじゅう、待ってるからね!」

あいつは昔から変わらない笑顔でそう言うと、水しぶきも上げずに海に飛び込んでいった。

夕日に輝く波の中にあいつがまた消えていくのを、俺は時間も忘れて見つめ続けた。



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