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【ショートショート】非暴力カリスマ販売員

「『販売員更生プログラムのご案内』?」

店長から渡された紙のタイトルを俺は思わず読み上げた。

「あの、昨日私がクレームを受けた件と関係が……?」

「当たり前だ! 今月に入って3回目だぞ!? しかも客は君をフルネームで名指しだ! エリアマネージャーから本社に報告も行っている!」

店長はそこまで言うと、特大のため息をついた。

「悪いが、今回ばかりはかばいきれない。そこに行って、しっかり勉強し直してくれ。なんでもすごいカリスマ講師が来るそうだから」

「はあ……」

こうして、俺は本社ビルの一室で行われるという『販売員更生プログラム』とやらに参加することになったのだった。


案内に書かれた日時に、指定された会議室に行くと、すでに先客が何人か座っていた。
しばらくすると、ピシッとスーツを着こなした男がやってきた。

「本日、このプログラムにお集まりの皆さん。ここに呼ばれたのは恥ずべきことです。しかし、改めてお客様との接し方を学べる貴重な機会を得たと考えてください。それでは、講師をご紹介します。どうぞ!」

男が扉の方を向くと、音もなくドアが開いた。
1人の女が姿勢良く、カツコツとヒールを鳴らして入ってくる。
髪をきっちり結い上げ、スーツの上から目立つ金色のストールをかけたその女は、こちらに完璧な笑顔とともに一礼した。

「本日の講師を務めていただきます、非暴力カリスマ販売員の神野じんの佳都子かづこさんです!」

――『非暴力』カリスマ販売員。え? 非暴力?

おそらく、その場にいた人間のほとんどがそう思ったに違いない。
そんな空気をものともせず、女……神野さんは、マイクを受け取ると、よく通る澄んだ声でこう言った。

「ここにおいでの皆様は、お客様からの言葉や態度に傷つき、疲れた方々ばかりかと存じます。しかし、我々は決して受けた言葉の暴力を同じように言葉の暴力としてお返ししてはなりません。わたくしは今まで、いかにお客様へ販売員としての清い心をお返しするかということに専心してまいりました。本日は、皆様にぜひ、私の心がけをお聞きいただきたいのです」

そう切々と語りかけると、一旦言葉を切って慈しむような目で俺達を見渡し、そっとこう続けた。

「大丈夫です。恐れを捨てましょう。お客様の、ひいては私達販売員のために」


……なんだか、すごい研修だったな。
俺は社内の自販機コーナーで買ったコーヒーを飲みながら、さっきまでの研修を思い返していた。

内容は、よくある接客の心得や、カスハラまがいのことをされた時の対策だった。
だが、講師の神野さんの言葉の選び方なのか、話し方なのか知らないが、人から斜に構えた心と態度を消し去ってしまうのだ。
各店舗から集められた札付きのひねくれ店員しか集まっていないはずの会場が、最後には熱狂の渦の中、万雷の拍手で彼女を送り出していた。
本当に、奇跡としか言いようがない。

「あの人、神様か仙人なんじゃないか?」

思わずそんな独り言が出てしまった時だった。

「神野さん! 今日は本当にありがとうございました!」
「販売員として、いえ、人間としての生き方を変えていただいて、感謝しています!」
「素晴らしい研修でした!」

廊下を歩いている神野さんに、何人かがすがるように後を付いて歩き、口々に感謝の言葉を叫んでいる。
おそらく、さっきの研修に出ていた奴らだろう。

神野さんは窓を背にして立ち止まると、取り巻きのように付いてきていた人間たちにあの慈しみの微笑みを振りまいた。

「皆様のお心に、私の心が届いて何よりです。どうか今の気持ちをお忘れにならないでください」

振り返って窓を開けると、外へ向かってぴぃ、と指笛を吹く。
すると、驚いたことに彼女のストールと同じ金色をした雲がどこからともなく現れ、彼女の腰の高さあたりに止まったのだ。

「それでは、皆様ごきげんよう」

神野さんがそっと腰掛けると、雲は彼女を載せたまま上昇した。
キラキラとした金色の粉を振り撒きながら、ストールをなびかせて神野さんは空の彼方へ飛んでいく。
それはもう、神々しいとしか言いようがない光景で。

俺は他の奴らと同じく、その姿に手を合わせて拝んでしまったのだった。




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