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【ショートショート】年月日データセンター
息子のカナタが生まれて10年。
新生児期、イヤイヤ期、保育園と幼稚園の入卒園に小学校入学まで、本当にあっという間だった。
どの時期も全部大変で、全部楽しかった。
そして今、私は子育ての新たなフェーズに突入している。
プチ反抗期だ。
「コラ! 宿題はどうしたの!」
「今からやろうと思ってた」
ゲーム機を持った息子は、画面から目を離さずにそう答えた。
『宿題を先にやってからゲームをする』そう約束させてから買い与えたのだが、約束は2週間ともたなかった。
今や、小学校から帰ってくるとすぐにリビングのど真ん中に陣取り、人気のゲームに興じている。
もはや私が叱りつける声に動じることもない。
そのうえ……
「どっちが先でも、寝るまでに両方終われば別によくない?」
……こういうことを言い出すのだ。
「それができてないから言ってるんでしょ!」
私は心の片隅のさらに隅のほうで息子がこんな物言いをするまで成長したということを喜びつつ、いや、喜んでいるからこそ、息子からゲーム機を取り上げた。
「あっ、何するんだよ!」
「ゲームの中のルールが守れるんだったら、家の中のルールも守りなさい。宿題が終わったノートを見せたら返してあげます」
私はそう言って、ゲーム機を手にリビングから立ち去ろうとした。
すると、
「もう、母ちゃんのバカ!」
という声が背中にぶつけられるではないか。
「また言った! 親にバカって言ったりしちゃいけないって、何度……」
私が振り返りながら言い終えるより先に、息子は不機嫌ここに極まれりといった表情でこう言った。
「またって、いつのこと? 何月何日何時何分何秒? 地球が何周回った時?」
――ついにこの質問が来た!
私はニヤニヤしながらスマホを取り出し、スピーカーにして電話をかける。
息子は母の突然の行動にもひるまず、こちらを睨んでいる。
「――お電話ありがとうございます。こちらは年月日データセンターです」
「すみません、照会をお願いします。登録番号はN3829B0011、年月日と秒単位の時間、それと、地球が何周回ったかっていうのは……」
「地球の回転数につきましては、上級プランをご契約の方のみへのご提供となります」
しまった、うちは標準プランでの契約だった。
まあいい。
「わかりました。それでは対象のこの発言をピックアップしてください。『母ちゃんのバカ』」
「その発言は、過去に3回記録されております。2X21年11月17日18時44分03秒と、2X22年01月26日7時30分56秒、そして同日20時55分47秒です」
「そうですか、ありがとうございました」
電話を切ると、私は息子に向き直った。
「ほら、3回も言ってるじゃない! これで4回目だよ?」
「ウソだ! なんだよそれ、なんでそんなのわかるんだよ!」
私は息子に目線を合わせると、ゆっくりとした口調で言い聞かせた。
「今まで言ったことやしたことは、全部年月日データセンターに記録されてるの。どんなにカナタが取り消したくても、その記録は絶対に残るし、取り消せないんだよ。だから、何を言うか、何をするか、きちんと考えてからじゃないと、取り返しがつかないことになるからね」
『年月日データセンター』は、あらかじめ登録した対象の言動・行動をすべて記録してくれるサービスだ。
本来は子供が犯罪やいじめといったトラブルに巻き込まれてしまった場合に『”大人が目を離した隙”を埋めるセーフティーネット』として使われるためのものである。
もちろん私もそんな万が一に備えて息子を登録しているのだが、今のような使い方をしている親もけっこう多い。
別に、プチ反抗期の子供との言った言わないの争いで勝つためではない。
『自分が何気なく発した言葉が、どこかに・誰かに残り続けることがある』
そのことを教えたいだけだ。
「母さんはカナタにバカって言われたこと、ちゃんと覚えてるよ」
「……ごめんなさい」
息子は観念したのか、小声でそう謝った。
ちょっとクラスの男子の間で流行っているセリフを言ってみたかっただけだったのが、思いもよらない結果になったといったところだろうか。
「よろしい。ほら、早く宿題終わらせておいで。ゲーム機が取り返しのつかないことになっても知らないよー」
「ちょっと待ってよ! すぐやるから!」
そう言うが早いか、息子はリビングの隅に放り投げたままのランドセルをつかみ、2階の自分の部屋へと駆けていった。
いつか、息子が成長して、”大人の目”を必要としなくなった暁には、解約してデータをすべて買い取るつもりだ。
データはコピーを作って、1つは息子に贈り、1つは私がもらう。
息子に自分の成長を感じてほしいし、私は息子の成長の軌跡をもう一度体験してみたいからだ。
子育てを終えた私は、どんな気持ちで今を振り返ることになるんだろう。
その時私は何をしてるのだろう。
息子はいったいどんな大人になっているのだろう。
それを考えると、なんだかワクワクしてきて、疲れたときでもこう思えるのだ。
「これからも子育てを頑張っていこう」と。
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「――はい、こちらは年月日データセンターです」
「すみません、照会をお願いします! 登録番号はD58996P33864、対象の2X71年2月20日18時から現在までの全行動を!」
「了解いたしました。暗号化しての送信となりますので、お読みの際にはワンタイムキーを取得してください。取得方法は……」
「わかりました!」
俺は話を最後まで聞かずに電話を切ると、すぐに送られてきたファイルに目を通した。
隣では妻が心配そうな顔で俺の様子をうかがっている。
「どう? お義母さんのいる場所、わかった?」
「ああ。行ってくる」
俺はスマホだけ持って車に乗ると、データの最後に書かれていた場所へ向かった。
母が入所するグループホームからいなくなったことがわかったのは、今朝のことだった。
夜勤の職員が他の入所者にかかりきりになっている間に行方がわからなくなったらしい。
それで、『年月日データセンター』へ行動照会をしてほしいと俺に連絡が来た。
個人情報保護のために、データセンターへ照会できるのは特例を除いて対象の1親等までの人間のみだからだ。
データセンターへの登録がグループホームの入所条件だったが、まさかこんな使い方をすることになるとは。
しばらく車を走らせると、目的地に着いた。
そこは、俺が5歳まで住んでいた街の、小さな公園だった。
「おふくろ!」
母は、砂場の縁に座っていた。
俺が駆け寄ってもこちらを見ることはなく、ニコニコしながら誰もいない砂場を見つめている。
俺はその隣に腰掛けた。
「……知ってるよ、ここ。データで見たから。俺が小さい時に毎日連れてきてくれてたんだよな。いつもこの砂場で一緒に遊んでくれて、俺は『帰りたくない』って毎日泣いて」
「カナタはお城を作るのが上手だわ。将来は芸術家……ううん、建築家がいいかもしれない。ああダメよ、お友達とは仲良くしなきゃ……」
俺の話が聞こえているのかいないのか、母はそんな話を始めた。
母が見ているのは、データで見た昔の俺だ。
そして、母の心はあの頃の俺とずっと遊んでくれている。
今になっても。
「母ちゃんのバカ。もういいんだ、子育ては」
俺が抱きしめると、しばらく会わない間にずいぶん細く小さくなった母は
「こら、カナタ。何回そんなことを言ったらダメだって注意されたら気が済むの。記録は残るし、取り消せないんだからね」
と、昔のように俺を叱った。
そう。
記録は残るし、消せない。
記憶もそうだったら、どんなによかっただろうか。
俺は母の言葉に、消えたり現れたりするその記憶に、ただ涙するしかなかったのだった。
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