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カウンセリングで私が行っていること

カウンセラーの仕事が楽そうで羨ましいと言われることがたまにあります。
「おれ相談に乗るのは好きだし得意だから仕事くれよ」なんて言ってくる人もいたりしましたね。
どうやらその人はカウンセリングの仕事を「相手の話を聞いた上で、自分の経験則に基づいてアドバイスをする」ものと考えていたようです。
きっとその人は自分の人生経験に相当な自信をお持ちだったのだと思います。

「仕事くれよ」と言われて私は丁重に「無理っす」とお断りしたのですが、断られたことが面白くなかったのかその人は私に説教を始めましてね。
「おれだったらオマエみたいな人生経験の何もない奴にカウンセリングなんか絶対に受けたいとは思わないね」なんて。
そもそもカウンセリングがどんなものかを理解されていなかったということなのだと思います。

カウンセリングは楽な仕事ではありません。
雑談をしているわけではないので、対話中は常に忙しく思考しているものです。
今回はカウンセリングで私が行っていることについて綴ってみたいと思います。
相談業務をされている方のみならず、日頃誰かの相談に乗る機会が多い方など、ご参考にしていただけたら幸いです。


主観を無にして話を聴く

来談者への質問と、来談者の話を聴くことがカウンセリングでは頻繁に繰り返されます。
「質問すること」と「話を聴くこと」は両者ともにカウンセリングにおいてとても重要な要素となりますが、まずはカウンセリングの基本とも言える「話を聴くこと」から綴ってみたいと思います。

「話を聴くこと」については、「話を聴く態度」がどうであるかが重要だと言えます。
私は来談者の話を聴く際は、主観を無にして来談者の認識に浸るよう心がけています。
別の言い方をすると、来談者の体験している世界を自分も体験できるよう努めるということですね。
つまりは来談者に「共感する」ということです。
そうすることで来談者の困りごとをより深く理解することができるようになります。

主観的立場から話を聴く

とは言え、来談者の体験している世界に浸り続けてばかりはいられません。
その世界に浸り続けていると来談者への同調につながってしまうからです。
「きついよね~」とか「あいつムカつくよね~」ばかりではカウンセリングは進みません。
ですので、来談者の世界に浸ってばかりではなく、適宜自分の世界に戻ることが必要です。
そうすることで来談者の体験している世界を理解した上で、来談者の訴えを主観的立場から多角的に問いかけることができるようになります。

来談者と自分の対話を客観視する

客観視については、来談者を客観視するだけでなく、しばしば来談者と自分の対話を客観視することもあります。
そうすることでカウンセリングがブレることなく正しい方向へ進んでいるかを確認したり、来談者に対する自分の意見の押し付けが起こらぬよう監視したり、自分の来談者に対する問いかけとレクチャーのバランスを調整したり、来談者と自分の発話量のバランスを調整したりすることができるようになります。

カウンセリングの主役は来談者であるべきで、来談者がカウンセリングへ主体的に参加してもらえるよう支援することが重要だと考えております。

「来談者に共感する」・「主観に戻る」・「来談者と自分の対話を客観視する」

こんなふうにカウンセリングでは、「来談者に共感する」・「主観に戻る」・「来談者と自分の対話を客観視する」ことを忙しく繰り返すことになります。
私の感覚としてはこれら3か所を忙しく移動しているような感じですね。

共感しているときは主観を無にして来談者になりきります。
主観に戻れば来談者が望む未来へ進めるように、来談者の困りごとの追体験をもとにして客観的立場から気づきの促しに努めたり、必要に応じて説得したりします。
来談者と自分を客観視するときは、主にカウンセリングがブレずに正しい方向へ進んでいるかを確認したりします。

以前研修で、「自分の認識を否定して来談者の認識に浸り、その後その追体験の成果を引っ提げて来談者の認識を否定して、専門家である自分の認識に復帰して支援にあたる」という教えを受けたことがありました。
私はこの教えを受けたとき、自分のしていることの答え合わせをして、正解であることを確認できたように思えて安心したことを覚えています。

共感だけでは足らないし、質問ばかりでも進まないし、レクチャーだけでも行動変容につながらないし、説得だけでも抵抗が生じてしまいます。
相談援助って簡単ではないことは確かですね。
ともにより良い相談援助ができるよう努めていきましょう。

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