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擬態【ショートショート999字】

「伊藤先生もお饅頭食べる〜?」

「あ、ありがとうございます!美味しそう!」

 田中先生から差し出された、誰かのお土産の饅頭を受け取り、私は笑顔で返答する。実は甘いものは得意ではないのだが、ここは穏便に喜んでおこう。和を乱さないのが最も重要である。


 昼休みの小学校の職員室。帰りまでに、私が担任のクラスの理科の宿題プリントに丸付けをしなければならない。忙しい小学校教員にとって、昼休みは貴重な作業時間である。

 昨日は理科で『擬態』について教えたところだ。「周りに似せて溶け込むことで、攻撃を受けないようにすること」と教えた。宿題にはこんな問題を出した。

『擬態』をする生き物のれいを書きましょう。

 理科の教科書に載っている「コノハチョウ」や「ナナフシ」を書いている子がほとんどだが、自分で調べたのか「トビモンオオエダシャク」などと書いている子もいる。私は機械的に手を動かしながら、頭では小学校に赴任してからのここ半年のことを考えていた。

 新卒で教員となり、最初は教育を変えてやるとやる気満々だった。他の先生のやり方がおかしいと思えば、誰であれ意見した。しかし、ある日私のそういう態度について他の先生が陰口を言っているのを知ってしまった。急に怖くなり、それから私はできるだけ穏便に、波風を立てないように生きていくことに決めた―


 ぼーっと丸つけをしていたところに、私はある生徒の回答を見てドキリとし、手を止めた。そこにはこうあった。

「制服を着た生徒。同じ服を着て周りに溶け込んでいる。」

 プリントの名前を見ると、おとなしくてあまり喋らないあの子だ。なんだか皮肉の効いた回答だ。上手いと言えなくもないが、丸にするわけにはいかないだろう。

 私はちょっとぞっとしながら次のプリントへと手を進めた。名前を見ると、いつも明るい優等生の子のプリント。変な回答はないだろうと安心して丸つけを始める。すると、そこにはこう書いてあった。

「伊藤先生」

 私は冷たい手で心臓を撫でられた気分になった。私が赴任当初の決意に蓋をし、他の先生に溶け込もうとしていることが、この子にはまさかバレているのだろうか…

 すると、下の方にこんな補足があった。

「先生がこの前着ていた緑色のセーター、後ろの黒板に溶け込んで擬態しているみたいでした、なんちゃって!答えはコノハチョウで!」

 私はほっとため息をついたが、心臓はまだ高速に脈打ったままだった。


 

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