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自分の関係指向について考えたみた。


「関係指向」という言葉を聞いて、ピンとくる方はまだ少ないのではないでしょうか。



初っ端から偉そうに言ってしまいましたが、私もこの言葉を知ったのは数週間前の話です。

荻上チキさんの「もう一人、誰かを好きになったとき ポリアモリーのリアル」という本の中に登場する単語です。


そして先日、こちらの本に関するポリアモリーウィークのプレイベントがあったので、参加させていただきました。

プレゼンテーターは、小島雄一郎さん。


ポリアモリーにまつわるエトセトラについて、パワポを用いてわかりやすく書かれている方です。


今回のイベントでも、「もう一人、誰かを好きになったとき ポリアモリーのリアル」の内容について超明快にパワポにまとめて、ご自身の見解も踏まえてロジカルにプレゼンされていました。

小島さんが実際にお話しされているところを拝見するのは初めて。

お話の内容の感想はこの後書いていきますが、開始早々に思ったのは、小島さんの頭の良さが全面に出ている話し方が素敵だなーということ。
自分のポリー的な感覚と同時に、サピオロマンティックな側面も再認識することに。笑

話が逸れましたが、イベントに参加して感じたことをちゃんと言語化して残しておこうとキーボードを叩いております。

「関係指向」と「関係様式」


今回のイベント前半のトピックは、萩上さんの本の中に登場する「関係指向」と「関係様式」についてでした。

この二つのキーワードの定義は以下の通りです。

関係指向とは、相手とどのような関係を築くことを好ましいと捉えるのか、その傾向を説明するための概念だ。
関係様式とは、その人の選択した形態や、その人の置かれている状態などを指し示す。

「もう一人、誰かを好きになったとき 
ポリアモリーのリアル」
萩上チキ


関係指向と関係様式が一致している方もいれば、していない方もいます。


本日小島さんも話されていましたが、
その人の今の関係様式=その人の関係指向が絶対ではないということ。


ポリー的な感覚を持っていても、ポリアモリーを実践したことがない。
私もこのパターンです。


ポリアモリーが関係性マイノリティであること。
自分がポリー的な感覚を認めようと思ったのがごく最近であること。

これらの要因により、理想の関係様式を実現できなかったのではないかと思います。


私自身も、大多数の人は「一対一の恋愛関係を望んでいて実践している」という固定概念を持っています。
なんなら自分自身もそうだと思っていた。

ただ、その前提に立ってしまうと、今一対一の恋愛をしている人を、not ポリー感覚の人と判断してしまうという。

これって私がされて困っていることを、他の人に対してもしてない?と気付いて反省いたしました。

私の関係指向とは


私は複数の人との恋愛を望んでいる。
というわけでは必ずしもないと思います。

望んでいるのは「独占的でない関係」

私の全てを誰か一人にだけに費やす、相手の全てを私に捧げてくれる。
ということを望んでいない。

好きには色々形があるし、限られた人生なんだから、私が一緒にいたいと思う人と関わりたい。

だから、形として一対一で付き合い始めたとしても、好きな人ができた時にはどちらのことも好きであれば、どちらか一人を選ぶということはしたくない。

可能であれば、恋人に好きな人ができても、私に対する気持ちが変わらないのであれば、どちらか一人を選ぶということはしてほしくない。

これが私の関係指向と今の自分は考えています。

非独占的な関係を成立させるためには



昨日のイベントに参加して、理想の関係を築く上で大事だと思った点をまとめてみます。

・関係指向について、お互いに伝え合うこと

・指向が一致しない場合は、擦り合わせられるか検討すること

・その時々の関係性について定期的に見直して話し合うこと

・どちらかが他方に歩み寄る場合、格差を利用して搾取するという構造が成り立たないようにすること。

・そのために、お互いが補完しあいバランスが取れた関係であると示し合うこと。実感すること。イーブンな関係であること。


なんていうか、これって人間関係の本質ですよね。

小島さんのお話の中ですごく面白かったのが、

モノ女がポリー男に歩み寄る場合、
「彼のお金が私の生活には必要だから」と経済的な格差により搾取さてしまうという非難の声があがる。という風潮に対する、彼のクリティカルな考察。

格差って経済だけじゃないよと。
愛情格差もあれば知的格差だってある。
殊にポリアモリーにおいては理解者の格差が生じやすい。

批判すべきは格差を用いて搾取をするという構造。

これ!!すごいわかる!!

思わず目をキラキラさせてしまいました。

というのも私、これまで男性との交友関係の中で、愛情格差を経済的に搾取してたことが結構あるなーと思ってたんですよね。

要は男の人にたくさん奢ってもらってるけど、私と遊びたいんだからウィンウィンだよね!みたいな考えが根底にあった。

ただそこを突き抜けられなくて、なんとなくの申し訳なさは感じていた。

けど、逆を言えば経済格差を用いて性的に搾取されてるんだよねって自分を納得させていた。

だから結果、バランスは取れていたのかもしれないけど、


まあうっっすい付き合いですよね。


そして今思うと、私は「一途になれないんだ」という諦念が前提にあり、まともな付き合いができるはずないというところから異性関係がスタートしてしまうために、薄い関係に心地よさを感じていたんだと思います。

その時に「関係指向」という言葉を知っていれば、周りに理解者がいれば、ここまで拗らせることはなかったのかもしれないなーと思ってしまいました。

何でも話し合える関係が心地よい


シンプルに言えばこれですね。

心遣いは忘れない。
けど気を遣いすぎずに、自分の思ったことを話し合える。
相手のことを否定せずにリスペクトを持って接する。

結論いきついたのは、すごくシンプルな人間関係において重要なことでした。

こういうコミュニケーションを阻害する要素として、偏見や格差があるのだなと。

フィルターを通さずに人のことを見る目や、自分の気持ちを表現するスキルを身につけていきたいものです。









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