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読書感想文「ノートル=ダム・ド・パリ」

 皆様、お久しぶりでございますm(_ _)m
 自称作家の私、あまおう まあお でございますが、昨年末より乳児を育てておりまして時間に追われる日々の中、こういった投稿もトンとご無沙汰……そんな中でもどうにかこうにか時間と労力と智力をやり繰りいたしまして、なかなかの名作を拝読いたしましたもので、ここにせめても感想をばと思い立ちまして、こうして筆をいやいやキーボードを叩いておる次第でありまして。あ、そうそう。憚りながら以下は大いにネタバレを含んだ感想になりますもんですから、未読の御方はまずはダイジェストでもお読みになったうえでどうぞこの先をお読みいただくようお願い申し上げまする。

 という感じで、登場人物がやたらめったら長台詞を重ねて来る。読みながら思ったんですけど、ユゴーという人はおそらく推敲とかあまりしないタイプの文豪なんだろうね。あくまで文章の印象からの判定なので(しかも翻訳で)当たっていないかもしれませんが。

 地の文も人格を持ってる系の語り手という現代ではあまり好まれないパターンの神視点三人称。面白いと思ったのが、主要登場人物のIQが読者より低く設定されている点。

 (ほんとは違うんだけど)移民(←令和的に配慮した表現に改めました)の小娘エスメラルダを中心に、四人の男たちが描かれているが、これがまあどいつもこいつもダメ男ばかり。中ではもっとも賢いとされているフロロ司教補佐ですら、やることがエスメラルダのストーキングww とかで、なんともIQの低いふるまいばかり。司教補佐ですらこのレベルなのでほぼ無職のカジモドとかチャラ男のフェビュスなんかはお察し状態。というわけで、基本的に展開は全部「読者に読ませる」形で進んでいく。意外性もクソもないのだが、どうしてどうして、これが面白いのだから、文章力が神がかっているとしか言いようがない。日本的に(というか昭和的にか?)言うと「しむらーうしろうしろー」みたいなノリで展開していく。なぜかとんでもない悲劇の方向に。

 ところで注目しておきたいのが、長台詞について。語り手を含めてみんなで滔滔と喋りまくるのだが、カジモドはほとんど喋らない(後天的聾唖設定なので)。エスメラルダは喋りはするけど、一度に長々と喋るわけではない。フロロとグランゴワール(ヤギ好きの無職)、フロロの弟がぶっちぎりに長台詞になっていて、フェビュスとエスメラルダはそれなり、カジモドは短台詞。
 どうもこの作品の中では知能の高い奴ほどペラペラ喋ることになっているようだ。雄弁は銀なんてどこ吹く風。
 だがこれだけ皆がペラペラと(いらんことまで)喋っている中で喋れないカジモドが効いている。ラストもラスト、エスメラルダが処刑された時に泣くんだけど、私はそれ読んでちょっと驚いたのだ。あ、カジモド人間なんだなあと。最初の方の説明ではカジモドって化け物みたいなもんで、しかも内面も未発達としか読めない。ディズニーでは「心優しい」設定らしいけども、原作ではそれどころか頭も悪けりゃ意思疎通すらフロロとしかできないので、いいところなんかほとんど、ない。むしろみんなから嫌われて本人も人間全般憎んじゃってるレベル。

 いや、実際こうなると思うよ? 生まれつき「醜い」とか言われて捨て子状態で発見されてどうにか生き延びた先がフロロのところじゃ。フロロは基本的には秀才で真面目な聖職者らしいんだけど、完全にロリコンで16歳の女の子に嫌われても嫌われてもフードとか被ってストーキングしまくってるし。しかもそれを「お前があんまりにも可憐で美しいから悪いのだ。悪魔め!」とか言い張る痴漢思考丸出し、しかも被害者女性に言ってのけるモラハラ気質。現代日本じゃ何をどう頑張っても「キモいおっさんがなんか言ってる。しかもハゲ」事案だ。

 フェビュスについては、ツラと運がいいだけのただのチャラ男なのだが、原作のエスメラルダも若くてかわいいだけの女の子(だがなぜか身持ちが固い)なので、この二人がくっつくのが妥当な感じはする。くっついたところでフェビュスは浮気するだろうしエスメラルダは近日中に捨てられると思うが。それはそれで原作とは違った方面に悲劇である。

 となってくると、俄然株が上がるのがヤギ好きの無職グランゴワールである。正直、最初の方「この人なにしに出てきてんのかなー」と思っていたが全体通して意外と大事な役回りだったので驚いた。むしろ意味ありそうなジャン・フロロ(フロロの弟)がほとんど働かずに「なにしに出てきたんかなー」案件だったのが予想外。グランゴワールは喋りまくるのと自己保身しまくる以外にこれといっていいことはしないが、面白かったのが最後の最後でエスメラルダ(法律?上の妻)とヤギを天秤にかけてヤギを選んだのだ! 理由が「ヤギかわいいし、何も悪いことしてないのにかわいそう」とかそんな理由で助けにかかる。

 いや、エスメラルダも運以外たいして悪いことはしておりませんが。とツッコミたくなる。それに加えてキリスト教圏内ではふつう、ヤギ=悪魔と読むので、グランゴワールの感性は独特だ。キリスト教的には羊は神のしもべで、ヤギは悪魔の象徴……現代日本でいうとたぶん、エスメラルダは褐色の肌の美少女……だけどデカいヒキガエル飼育してますみたいな感じだと思う。それで魔女扱いされてしまった、と。なお、私はカエルはむしろ好きだ。ヤギはそんなに好きじゃない。なんか目こわいし(やぎの瞳って横長の長方形なんだよ? よく見ると相当怖い。しかも伸び縮みもするとか)。

 この話、いわゆる群像劇なんだとは思うが、果たして主役は誰なのだろう。ディズニーはカジモドを、バレエ版ではエスメラルダを主役と捉えるようだが、私としてはタイトル通り「ノートルダムからみたパリの風景」ということで、この大聖堂が主役でいいんじゃないかと思う。しかもゴシック小説とのことで、色んなおぞましさが表現されている。ダントツにおぞましいのがロリコンのおっさんなので、誰がリメイクしてもフロロが悪役になってしまうが、普通に下世話なパリの人々もおぞましいっちゃ、おぞましい。リメイクされるとだいたいエスメラルダは助かる(この人、なんも悪いことしてないもんね)ようだが原作は魔女裁判で処刑されてるし。

 原作は「なんてひどいお話!」と誰もが思うだろうが、それによってしかカジモドとエスメラルダが結ばれる(?)可能性はないので、恋物語としてはカジモドが一人勝ち。現実としてはフェビュスが何の責任もなく逃げおおせて一人勝ち。そしてなぜかヤギをゲットしたグランゴワールがどうぶつ王国的には一人勝ち。どこをどう頑張っても運が悪すぎたエスメラルダさんは残念ながら負けだけど、もう一人キモいおっさんは誰がリメイクしても負けているので一人負けではなく二人負け。うやむやのうちにハッピーエンドっぽく〆るより、インパクトの強い結び方だと、私は思う。しかしエンタメ的なカタルシスは皆無なので、リメイクするたび話が改変されるのは致し方ない。

 とまあ、色々と余計なことばかり申し上げましたが、このお話は非常に面白いです。ディズニーしか知らないという方は是非、ご一読くださいm(_ _)m
 それと、このような名作を改めて読んで、皆様にお知らせした私 あまおう まあお のこともついででいいからフォローなんぞしていただけるとまことに幸いにございます。

(本記事の画像はみんなのフォトギャラリーより拝借いたしました。クリエイターのryoko_minamiaso様ありがとうございます)


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