同人意識とプロ意識

小劇場系とゲムマ系の同人意識とプロ意識

「演技だけやりたい」「ゲームだけ作っていたい」「それだけで生活できるようになりたい」
そう、誰だって専念したい。
でもそれは規模という現実問題を無視して考えられないよね。
そうなりたいなら現状を努力して上を目指すしかないのではないだろうか。

◆役者はチケットを売るべきではない?

 巷の言説でよくこういう意見を見かける

 チケットノルマを役者に課しているところが多いけど、本来チケットは主催者側が売るべきもので、役者は演じることだけに集中させるべきだ。

 もちろんこの手の意見を言う人も、現状では役者がチケットを売ることは仕方ないと現実を理解している上で言っているし、また意見そのものは理想論としては分かるものではある。
 そもそもこれは現代社会の組織論の話であって、つまりは分業制の話だ。
 組織が大きくなければなるほど、製品を作る人と売り込む人と内部のための仕事をする人となど色々と仕事は細分化され、そして専業化されていき、それが1つの組織として成り立つ。
 なぜならそれが一番効率がいいからだし、それぞれその方が精度の高い仕事ができるからだ。
 だからいい舞台を見せようと思うのであれば、チケットを売る人と演技をする人はそれぞれ分業にして、それに専念した方がいい、というのは正論である。

◆家族経営を悪だと断罪できるのか

 しかし残念ながら現実はそんなに甘くない。
 というのも、大企業や中規模企業であればその理屈は通るのだが、一般社会においてすら、零細企業や家族経営の会社なんて分業できるほどの余裕は無く、社長が自ら製品を作って売り込んで材料の仕入れもやって奥さんがそれぞれを補佐しながら会計をやっているっていうところは決して少なくない。
 つまりこれは多くの場合、規模というのが現実の壁として存在してしまっている、すなわちある程度の規模でなければ分業というものはできないということなのであり、もっと言えば「分業が正しい、家族経営が間違っている」という善悪の話で片づけられる話ではないということなのだ。
 あるとしたら「効率的か否か」ぐらいの違いだろう。
 
 ひるがえって小劇場系の場合、確かに「効率的だからそうすべき」という正論で言うなら役者が自らチケットを売るノルマ制は非効率かもしれないが、しかしそれは比べる相手が違いすぎやしないかと言わざるを得なくなってしまう。
 つまりそれは、テレビや映画にバンバン出る俳優さんが出演する舞台などを指して、「ああいうのが正道なんだから我々小劇場系だってああすべきだ」と言ってしまっているわけだ。
 しかしそんなことをしても、そりゃ規模という現実を無視していませんかって言うしかない。
 もっと厳しいことを言うならば、あの人達は名前だけでチケットが売れるけど、アナタたちは出るだけで一般人がチケットをほいほい買ってくれる存在なの?と言わざるを得なくなってしまう。
 
 将来ああいう風になりたいね、というぐらいの話であれば全然いい、むしろ夢を持ってやってもらいたい。
 でも、現状の小劇場系に対して「役者はチケット売るべきではない」と言ってしまうのは、家族経営の会社に「社長のお父さんが現場で機械動かしていたらダメだ」と言ってしまうようなものだ。
 現実問題としてそれでは成り立たないし、そこから目をそらしたらダメなのよ。
 ましてそんな言説を真に受けてしまい、「そうだ俺は役者なんだから雑用や裏方やチケット売りなんてしないぞ」と思ってしまっては、もはや勘違い甚だしいと言うしかなくなってしまうのである。

◆現状を受け入れてその上で努力してる

 オレだって任天堂やソニーのような大会社の中でゲーム作りだけで生きていきたいさ(実際そうなのかどうかはともかくとして)。
 でもオレもAHCも任天堂じゃないから、違いは違いとして受け入れなければならない。
 オレはゲームも作るし、売り込みもするし、イベントでインストもするし、冒険企画局に言われて雑誌も作るし、舞台の方にもたまにだけど顔を出したり意見言ったり現場で手伝ったりして、色んなところに顔出して、色んな人に頭下げて、時には厳しい交渉とかもしながら、そして小さいながらもAHCという組織をまとめることもする。
 また雑誌を作ると一言で言っても、冒険企画局と打ち合わせするし、内部でも打ち合わせするし、ライターさんとかイラストレーターさん探して契約や打ち合わせしなければならないし、企画も考えるし、実際にライティングもするし、写真撮影もするし、編集もするし、やっぱり色んなところに頭下げて、もっと売れるように営業して、実際にイベントで手売りして、こうやって改めて書き出すとイヤになってくるなぁ(笑)
 でも現実ってこんなもんじゃないか。
 これに対して「サークル代表は社長みたいなものなんだから営業だけすべきだよ」って言われても、それだけしてたら成り立たないのよ、AHCもオールゲーマーズも。
 ありがたいことに『斯くして我は独裁者に成れり』は多くの人に知って貰えるタイトルになったけど、これもこういう環境の中で生み出した作品だったりする。
 
 ちょっと自分語りしてしまったけど、ゲムマ系のゲームデザイナーって大なり小なりみんなそうでしょ。
 同時に心の中では「ゲーム作るだけの生活がしてぇ」って思っているけど、そんなのは無理なので、色んな活動を、みんなしてるでしょ?
 誰だってそうなのよ。
 そしてこれは、決してゲムマ系とか同人系だけに限らない話だ。

AG誌03号表紙web宣伝用

◆憧れの世界はみなピラミッド

 これは構造的な問題だ。
 例えばジャンル人口が増えて我々AHCの規模でも苦労せずゲームが売れるようになったとしても、その場合はもっと小さな規模のサークルが発生してピラミッドの下部を埋めることになるだけだろう。
 要はピラミッドが全体的に大きくなっただけで、下に位置する存在はなくなるわけはなく、結局、専業出来ない規模のサークルなり団体なり個人なりが無くなったりはしない。
 つまりは「そもそもこの現実を変えましょうよ」と言っても、「この現実」はどうやったって変わらないのだ。
 業界規模の差で、「この現実」が絶対数の問題として多いのか少ないのかという部分はあるが、「兼業しなければならないこの現実」は、なにをどうやったって消えることはない。
 例えば、アナログゲーム業界や小劇場系よりももっとファンやプレイヤーの多い音楽業界だって、アマチュアやセミプロの世界はチケットノルマ制だ。
 つまり規模が大きいか小さいかだけで、外から見ればどちらもピラミッドの形をしているわけで、いくらアナログゲーム業界とか小劇場系の人間が「現実を変えよう」と言ったところで、ピラミッドの下はどんな業界であれ、あまり変わらない現実が待ち受けているわけで、これが偽ざる現実的な構図の世界なのだ。
 
 だから目指すべきは、「ピラミッドの中で上を目指す」か「ピラミッド自体を大きくする」か「その両方」かだ。
 チケットノルマがイヤなら、上に行くしかない。
 ゲームを作るだけに専念したいなら、上に行くしかない。
 そんな世界に、自らの意思で身を投じているのだから。

◆チケットを売り営業をした先に目指すべき場所がある

「大きくなりたくない、自分の手が届く範囲だけでやりたい」という考えは否定しない。
 同人の楽しさは、自分の手で作品を作り、自分が見える範囲で自分の手で売って、自分が感じられる範囲で喜びや悔しさや楽しさを味わう、というのがあるので、それを否定するつもりはない。
 むしろ尊重されるべき姿勢だと思う。
 ただもっと大きくなりたいという上昇志向を持っている人間もいるわけで、そういう姿勢も同時に尊重されるべきだ。
 だからやっぱりそういう人は、今の自分のに合った活動をすべきだろう。
 
 例えばもう本当に知っている人だけの十数人だけが観客のパフォーマンスを見せるだけでいいんだっていう役者について、そんな人にまで「もっとチケット売れや」とか「上昇志向を持てや」とか言うつもりはない。
 それはそれで一つの役者のあり方だと思う。
 しかしもしそれを本当に自分一人で完結できるのであればそれでいいんだが、しかしいざもっと上を目指したい劇団や公演に出るんであったら、それはもはや自分一人の話でなくなるので、そうは言ってられないハズだ。
 上を目指す場に身を投じた時点で、上を目指す活動をすべきだし、そうであれば、いま自分がいる位置を冷静に考えれば、「役者自身がチケットを売る」という活動からは逃れられない仕事だと認識するしかないのである。

クリエイティブAHCではボードゲームやTRPGの作成・販売と、アナログゲーム総合誌『オールゲーマーズ』の編集などを行っています。商品はBOOTH他、各ゲームショップでご購入できます。https://ahc.booth.pm/