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100近い職場を渡り歩くことになった、始まりの3本柱。その②


タイトルその①のつづき…

自分の好きなこと3本柱の1本目(歌うこと)と2本目(部屋の模様替えをすること)は行ったり来たりした。
だからタレントになると決めたのも2回。
諦めたのも2回。

19歳で私の旬は終わっていた !?

1回目に諦めたのは20歳手前だった。

タレントスクールに通っていた高校時代。
毎週末バイトとスクールに明け暮れた。
その間、オーディションもとにかく受けまくった。
今思えば誰が聞いても「お前それは無理だろ〜」ってレベルの歴代のグランプリはみんな巨乳みたいなオーディションから、高学歴女子しか選ばれないような番組アシスタントのオーディションまで…。
とにかく1%でも可能性があるならば!!と馬鹿みたいに受けまくった。
( 今ではそんな純粋さはない…(ー ー;) )

とにかくアイドルになりたかった。

でも本当はアイドルになりたかったというより
何としてもアイドルの枠に入ってやる!
という野心に近いかったな。

そして歌いたかった。

これはすでにアイドルではない…な。

とは言え、そこそこ歌える程度であって、声に個性も無ければ曲が作れるわけでも詩が書ける訳でもなく、シンガーソングライターなんぞ程遠く、
自分にはまるで才能がないことは分かっていた。

でも誤解のないように言うと
だからと言って、アイドルなら簡単になれそうだと思っていた訳では決して、断じて無い。

ただ歌、芝居、ダンス、バラエティーetc.
色んなことをマルチに挑戦させて貰える仕事
だと思っていて、そこにとても魅力を感じていた。

でも無論、そこに行き着けるのは一握りの原石。
研けば光る原石のみ。

それでも万が一、たった1%の可能性に賭けてでも、
自分に何が出来るのか、どんな才能があるのかがわかるなら、何がなんでもその座を掴みたかった。

結局のところ、自分でその才能が分からないから、他人に見出してもらおうとしたって他力本願な話…。(^-^;
ただ甘い考えとはいえ、当時10代の私が無意識ながらにやっていた、自分探しの手段だった。

当時の所属事務所のモデルカタログ

でも、高校を卒業すると、どこのオーディションに行ってもこんな事を言われるようになった。

「 君と全く同じ容姿と才能を持った子がいたとして、その子が君より若かったらどっちを取ると思う?」

なんと!自分より若い小娘を捕まえてオバサン扱い。
80年代アイドル全盛期から、ゴクミ(後藤久美子)などの小学生アイドルが出てきた平成の始まり…
若干19歳で、私の旬は終わりを告げていた…(ー ー;)

大袈裟みたいだけど、本当にあの頃の私は
アラフィフの今より『 私はもうオバサンなんだ… 』と自覚?錯覚していたと思う。
(今はもぅ少し自覚するべきか?(°_°)? ほっとけ )

そこで切り替えた。
『 やったらやっただけの成果の得られることをした方がいい!』

私、インテリアコーディネーターになる!

次なる目標は3本柱の2本目
2.【部屋の模様替えをすること=インテリアコーディネーター】
を目指すことにした。

当時のバイト先のマスターが
「これ、お前が好きそうなやつじゃん 」
と、新しくオープンするお洒落なキッチンショールーム&インテリア雑貨店のインテリアコーディネーター募集の広告を見てそう言った。

当時インテリアコーディネーターという名前が世に出て間もなかった時代、インテリアの好きな私にとってそれは憧れでしかなかった。

案の定、応募条件は短大卒以上。
高卒の私。泣

でも、まずはコーディネーターさんと仲良くなり
色々勉強させてもらって、いずれその道に進んでいければラッキーじゃん?!と雑貨店の販売員の方に応募。
男女各1名ずつの採用を見事Get!!

1年後、仕事帰りにインテリアコーディネータースクールに通い学んだ。
がしかし…
数字に弱い、パースが引けない、当然のことながらお客様の要望に合わせてコーディネートするのがマスト。等々の理由でまたもヘタレのReeサンは断念。

ただ、インテリアコーディネーターにはなれなかったものの、この仕事をさせてもらったことで、雑貨商品のバイイングやディスプレイの面白さを知った。

そして何より、仕事中に好きなインテリア雑誌や洋書を見ていても誰にも注意されることはない。
それどころか、好きだから研究したくて見ているわけだけど『 君は熱心だなあ 』と言う評価になる。

専門誌などで気になる商品を見つけると、
仕入れ商談のため一人で東京出張できる。
翌日には東京の雑貨屋巡りをして来いと会社から言ってもらえる。

後に、別のインテリアショップの商品部マネージャー時代には、インターナショナル展示会で海外買い付けにも行かせてもらえたり、当時まだ日本に上陸していなかったIKEAを視察するため、香港出張にも一人で行かせてらったこともあった。

めっちゃ楽しかった1人海外出張 ♪♪♪

なんて幸せな仕事なんだ!
Unbelivable~!!

好きを仕事にするって、最高!と心底思った。

じゃ何でその仕事も辞めたのか?

それはまた別の機会に…

その③へつづく…


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