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どうしようもない程の感情に襲われて─『3月のライオン』 川沿いに”望む”町を歩く


川沿いの町の景色を見たいな、と思った。


ちょっと色々不安定になってる時期だった。
勉強のことや、将来の事。色んな不安が重なって、沸々とずっと燻っているような気持ちをどうしたらよいか分からなくて。

あるでしょ?そういう時。

メンタルブレイクっていうか。

ちょっと心がぐちゃってなっちゃってる時期だった。

特に、自分が”これで食べていきたい”って思っている世界には、自分よりもすごい人がたくさん居て、すごいだけじゃなくて物凄い速度で次々と新しいものを生み出していて。そういうのを目の当たりにして。

どうしてやり続けることが出来るんだろう。
どうして歩みを止めないでいられるんだろう。

何かとつけて億劫になってしまう自分は

凡人なのか。
凡人なのか。
凡人なのか。



そんな時、ふっ、と、


「川沿いの町の景色が見たいな」


と思った。


でもそんなところ知らないし、東京にそんな場所あるかしら、と。


で、ぱっと本棚を見たら、一つの漫画が目に留まる。

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『3月のライオン』


あぁ、あったな。そういえば。川沿いの町。


職業プロ棋士──主人公・桐山零、高校生。
孤独に身を置く彼は、東京の下町に住むあかり・ひな・モモの三姉妹と接するうちに次第に心を開いていく──。


この漫画の舞台は東京・佃、月島。
まさに川の町である。


何で川が見たいと思ったのかは自分でも分からない。


『河が好きだ
──好きなものなんてそんなには無いけど……
水がたくさん集まった姿を見ていると
ぼうっとして頭が しん とする』

これは零くんの言葉だけど。


川の流れる姿を見たら、


その川に沿って暮らす町の表情を見たら、

何かしら心を整頓できるかな

と、思ったのかもしれない。



人が旅に出たくなる時はどんな時だろう。


例えば、高群逸枝と言う人がいた。時は1918年、大正時代の話である。

当時24歳、その身一つで、彼女は四国遍路の旅に出た。彼女もまた、様々な想いの内に旅に出た者の一人である。

何故旅に出るのか。その答えは初めから幾重にも屈折し、これといった芯があるのは、実は珍しいことかもしれない。

現に彼女も『娘巡礼記』でこう書きだしている──「どんな心持で巡礼に出たのか、自分でもちょっと分からない」と。

だけど、そこには、停滞している現状から脱却したいという感情が、確かにあったはずだ。

ここではない何処かを想う時、ここではない何処かに居る時、人は何を思うのだろうか。何を思いたいのだろうか。それは現状からの、緊急脱出手段であるのだろうか。

高群逸枝は旅に出た。それは停滞を恐れて──そうならばいっそ、無謀だろうと未知なる世界に飛び出した方が良い、と。ともすればそれが生き延びるための術となるかもしれないと思って。

当時は女性が四国遍路に周るのは、大変珍しいことだった。

奇異の目で見られながらも、本を読み、瞑想に耽り、遠い彼方へと視線をさまよわせ、自身の輪郭をなぞるように浮き上がらせていく。

彼女にとってそれは、何のための旅であったか。


人がどこかに行きたくなる時、そこにあるのは現状の転換と、自分を縁取る”何か”を得たいという感情なのかもしれない。



しばらく雨が続いた後の、朗らかに晴れた秋の日だった。

絶好の日だ。

行こう、今から。川沿いの町を、ぼくは歩くんだ。

水曜日の朝。急いで支度をして家を飛び出した。

授業?知ったものか!

今はそんなメンタルじゃない。

時には授業に出ることよりも大事な事が、人生にはあるんだ。

(……まぁ、その日は元々課題だけやればOKなクラスだったけど……)


電車に乗って、八丁堀っていう駅で降りた。ちょっと歩くとすぐに見えてくる──あぁ、あの橋を、ぼくは知っている。

中央大橋。『3月のライオン』の一巻の表紙になっているところだ。

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あぁ、すごい。川が大きい。そっか、これが隅田川。

本当に存在したんだなぁ、ってちょっとテンションが上がった。

隅田川の流れは緩やかだったけど、ちゃぷちゃぷと色んな方向に波打ってて、なんだか人の心の中みたいだ、と思った。なーんだ、川も同じだ。


近くに霊岸島水位観測所ってところがあって、ここも漫画に出てくるところだったから行ってみたけど、そこでちょっとした出会いがあった。

水位を図るところに……

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カニだ。

カニさんがいる!

いるんだなぁ、カニ。

そのカニがへばりついている場所が場所だったから、なんか面白くてちょっと笑ってしまった。



天気はお日様が雲で隠れたり隠れなかったりしていて、お日様が出ている時はいいけれど、雲に隠れている時はちょっと寒い。

でも、センチメンタルな気分になっている時は、寒いのも良いかななんて思ってしまう。


文字を書く仕事なんていうのは、実は怒りとか悲しみとか悔しさとか、そういう負の感情──もちろんそれに囚われてはいけないけれど──の時にエンジンがかかったように進んだりするものだ。

それはあんまり良いガソリンではないのだけれど。

寒くないと、書けない。
ぬくぬくとした温かさを知ってしまうと、それに安心してしまって、書けなくなってしまうから。

でも、寒いままだといずれは崩壊してしまうのも事実で。そして、ぬくぬくを知らないと温もりのある世界を書けないのも事実で。

ぬくぬくと寒さの間をぼくは行ったり来たり、

揺れている、
揺れている。


そんな物書きのように難しいバランスな天気だったけど、お昼ごろになってお日様が優勢になってきた。そしてその温かさに、やっぱりぼくはホッとするのだ。



この町は沢山の橋がある。

高橋、中央大橋、住吉小橋、佃大橋、佃小橋……もっと。


橋っていうのは──というよりも、川というものはちょっと不思議なものであって。

よく”あちら側”と”こちら側”……つまり異界と現実を隔てる境界として描かれたり語られたりする。

「三途の川」って言ったら納得できるだろうか。

昔話や古典文学の世界では、川は二つの物を分ける「境」として作用していて、隔てられた二つを結んでいるのが橋である、という風に読むのが定石なのだけど。

実際に『3月のライオン』でも、作中に出てくる「橋」というのはかなり重要な役割を果たしている。

例えば「佃小橋」。

主人公桐山零が住む6月町。
三姉妹の住む3月町。

その二つの町を結ぶ佃小橋は、孤独の世界から温かで居心地の良い、安心できる場所へ零くんを連れて行ってくれる、大事な大事な橋なのだ。

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この橋は単行本14巻で、『赤い橋のほとりで』と銘打たれて主役級の扱いを受けている。

その話では主人公の零くんと三姉妹、そして零くんの師匠である島田八段と恩師である林田先生のみんなで釣りをする。

それは零くんにとって、とても大事で幸せな時間だ。


ぼくがこの佃小橋に来た時も、たくさんハゼが泳いでいて、釣りをしてるおじさんがいた。
時間はお昼ちょっと前くらいで、幼稚園生たちがいっぱい先生に引き連れられてはしゃいでいて、お弁当を広げて美味しそうに食べている人たちもいて、
ぼくは川を覗き込んで背中にぽかぽかと太陽を受けながら、
──あぁ、素敵だなぁ
と思った。

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ぼくは町並みを見ながら歩くのが好きである。

度々色んなところに出向いてはその町をじっくり観察したくなるのは、そこに住む人たちの営みを感じるのが好きだからである。


なんというか、安心するのだ。


住宅街から漏れてくるご飯の匂いとか、楽しそうに歩く家族連れだとか……

そうやってたくさんの人の生活が廻っている様子をみると、とっても安心する。

家々の狭間の路地裏とか、ベランダに干されている洗濯ものだとか、そういうのも観るのが好きだ。

多分そこに宿っている”何か”を感じることが出来るから。

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不意に現れる地元の神社とかも好きだ。

今回訪れた住吉神社の手水屋の水はとても冷たくて、なんだかシャキッとした気分になった。

神様には、佃・月島の町を見て回ることについての感謝を述べた。

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社務所の神職の方と目があって、お互いに会釈を交わしたのが面白かった。


折角佃に来たのだから、佃煮を買わなければ始まらないと思って、老舗の佃煮屋さんに入った。

『3月のライオン』で三姉妹のおじいちゃんがやっている和菓子屋「三日月堂」のモデルとなったと言われている場所だ。

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おすすめはなんですか?

と聞いたら、

「昆布とあさりの佃煮だよ」

っていうからそれを買った。お店のおばちゃんが二人ともとても優しくて、佃煮を買えたこともだけど、それ以上に、心がほんわかした。


多分、ぼくが旅をするのが好きなのも、こういうのが好きだからだ。

そこに住んでる人の生活を見たり、関わったりして、相対的に自分という存在の輪郭を、ちょっとずつちょっとずつ作り上げていく。


「どこかに行く」っていうのは、多分そういうことだと思う。


川沿いに臨む町を見に行きたかった。

その町に今日、自分が訪れた。

今までぼくという成分が一つもなかったその町に、新たにぼくが入り込む。

今日、確かに、その町を構成する一部分に、その歴史に、「ぼく」という存在がほんの少しでも組み込まれたのである。

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別に心が洗われたわけじゃない。

不安が全部解消したわけでもない。


それでも少しだけ。

ほんのちょっぴりと。

深く深く沈んだ心が、

ちょっとだけ、ぷっかりと

浮かんだような気がした。


『3月のライオン』
白泉社公式ページ
https://3lion.younganimal.com/


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