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勉強しなさいッ!|エッセイ(全文無料)

「勉強しなさいッ!」って、ついつい言っちゃうよねえ…。

 これはつい先日、友人と談笑中に聞いた言葉である。その友人は子を持つ親として、色々とご心配が尽きないようだった。
 これを聞いて、そういえば私も子どもの時、親にそう言われたこともあったなと、なんだか懐かしい思いがした。

 私は小さい頃から勉強のできない子ではなかったが、自ら進んで机に向かうような奇特な子どもでもなかったから、母の愛ある「勉強しなさいッ!」を受け、ちょっと面白くなさそうな顔をしながら、しぶしぶ机に向かったこともあるにはあった。
 かつて私は親にうながされ、どんな気持ちで机に向かったっけ?
 親に言われて効いた言葉なんてあったかしら?
 その後、私はどのようにして、物事を勉強するようになったのだろうか?
 ちょっと思い出してみた。

母の「勉強しなさいッ!」

 母に「勉強しなさいッ!」と言われて、それで身を入れて勉強したことなどただの一度もなかった。(こう書くと母がいかにも、かつてよく言われた教育ママのようであるが、格別そういうわけでもなかった。)
 母にこのように言われても、私は「うん…もうちょっとしたら。」などとはぐらかして遊んでいるか、せいぜい、机に向かっても一応学校の宿題をしたりするかという程度で、ほとんどすべてが上の空といってもいいほどだった。
 こう書くと劣等生まっしぐらのようだが、母のあの言葉が、机に向かうひとつのきっかけにはなった。そして机に向かったあとは、うるさいことは言われなかったから、私が机で遊んでいても、別に怒られることもなかった。
 こうして私は、机に向かう習慣がついた…とまでは言わないが、勉強机を嫌うようにはならなかったのである。
 で、机に向かっていれば、たまには学校の宿題や試験勉強などをしたから、おかげで、劣等生まっしぐらの道はまぬがれることができた。

 母の真意はともかく、一般に「勉強しなさいッ!」は要するに親心の表れである。子が一芸に秀で、それで立派に生きていけるならよい。親は何の心配もいらない。しかし、もし子が何の得意分野も持たなかったならば、子はひとりで生きていけない。それでは子がかわいそうだ。それを心配して、せめて学校の勉強を人並みにこなし、人並みの学歴を身につけ、人並みの勤労者になっていけば、飛び抜けた特殊技能がなくとも立派に生きていくことができる。そしてこの道は才能頼りにならずとも、努力さえすればきっと歩んでいくことができる。子の天賦の才に一点張りするという、一世一代の大ばくちを打つ必要がない。だから世の親たちは、さいころを振ることなく、子が自らの足で歩んでいけるようにと願って、「勉強しなさいッ!」という愛の言葉を放つのである。

子どものころの私の勉強法

 そうはいっても子からみれば、そんな深い親心なんて知ったことではない。仮に親の情理を説かれたところで、「なるほど、よし、じゃあ勉強しよう」とは絶対にならない。
 私もそうだった。「うるさくてやだなあ」とぼんやり思っていただけだ。私が多少とも真剣に勉強したとすれば、やはり学校の試験というものがあったからである。試験勉強なしに、丸腰で試験に臨むのは何だか怖いし、ならば仕方がない、最低限の勉強はしようかな、というわけである。
 それでも我ながら偉かったのは、やろうと思ったからには没頭して勉強したところである。そして自分なりに工夫をして、どうやったら身になるか、頭をひねったところである。
 私が効果を上げたのは、ただ本を読むだけでなく、問題を解いたり、声に出して喋ってみたり、室内を歩き回ってみたり、誰かに教えることを想定して空で説明してみたりしたときだったろうか。ときには実際に友人と話して理解を深めてみたりもした。
 こう言うと自分を褒めてばかりのようだが、私がこういった前向きな姿勢を身につけることができたのは、やはり両親やほかの大人たちの影響があった。親が何かに取り組むのに懸命なところを見て、では自分でもそうしようかと、健気にも考えたのだろう。また、親の言葉や行動に直接教えられることももちろん多かった。
 ところで私は、こうと思ったら目の前のものに集中するたちだったが、一方で気が散りやすいところもあった。これは人から指摘されることはあまりなかったけれども、自分では、子どものころから現在に至るまで、とにかく気が散りやすい部分があると思っている。それでも子どものころの私は、健気に、気が散っても自らを律して物事に集中し、勉強して、そこそこの点数を取って、親を安心させてきたんですよ。大変かわいい子どもであった。

大人になった私の勉強法

 そんな偉い子どもだった私も、偉い大人にはなれなかった。平凡で、ただかわいいだけの大人になった私。ただかわいいだけなんですよ。
 大人になっても勉強は続く。物事に没入して勉強するという私の性質は大人になっても変わっていないが、やり方のバリエーションは豊かになった。セミナーや予備校で学ぶこともあれば、インターネットで情報を検索したり、解説動画を探してみたり、時代とともに媒体も豊富になったから、色々組み合わせて勉強法を増やしてきた。わからないままやってみるということもだんだん増えてきた。
 そして結局わかったのは、とにかく気が向いたものをやっていくのがよいということだった。本が読みたくなったら読めばいいし、スマホをみたくなったらみればいい。飽きないという意味でもそれがよいのではないかと思った。
 勉強の仕方だけではない。勉強する内容についても同じである。
 私の気が散る性質を利用する。これを私は「気が散る」とはとらえなくなった。次のことに「気が向いた」ととらえるようになった。気が向いた時ほど強いものはなくて、「これがやりたい」と気が向いた瞬間、私は普段より何倍も高い能力を発揮すると気がついた。私の感覚としては、普段の五倍十倍ではすまないほどだ。この「思った瞬間」というのがミソで、今やっていることを区切りまでやってしまおうなんて思ったら、それはもうダメである。気が向いたらすかさず今の勉強をほっぽり出して、気が向いたことをしなくてはいけない。でないとせっかくの五倍十倍の効果が得られない。ほっぽり出した勉強は、あとで戻ってやればいいのだ。だって今この瞬間、私は気が向いているんだから。気が向いているこの瞬間だけ、私は超人的なのであって、その熱が下がってきたら途端にいつもの、平凡な、ただかわいいだけの私に戻っちゃうのである。

勉強せよと言わなかった父

 そういえば、母との対比で、父は私に勉強せよとは言わなかった。これは母との役割分担ということもあっただろう。また、思春期を勉強して過ごしたタイプの父ではなかったから、子に勉強せよなどと言える口を持っていなかっただけかもしれない。むしろ父は、ときに勉強などせず表に出ていって人と遊んでこいと言った。また、旅行も悪くないからしろとも言った。
 これを聞いた子どものころの、あるいは若いころの私は、父の真意を深く探ることもなかった。そういうものかと思いながらも、出不精の私は、それなりのペースで外出するにとどまった。
 酒を飲むようになったら、私の外出の機会も増えていった。もともと人見知りせず、人なつっこく、そしておしゃべりを愛し、ただかわいいだけの大人になった私は、交際の幅を広げていった。友人と酒を酌み交わしたり、また単身飲みに繰り出して、見知らぬ酒飲みたちと行きずりの会話を楽しんだりした。旅行もそれなりにした。親に、遠くに行かせてもらったこともあった。旅行先で多くは日本人、たまには外国人を相手にして、いま振り返ればとても多くの人間に接した。皆愛すべき人たちだった。そして全ての人たちから、私は人間というものを学んだ気がする。
 いまでも私は人と酒とが好きであるから、街へ出て、友人や、見知らぬ人を相手に会話を交わすことが多い。とにかくただかわいいだけの私は、偉いところが一つもなくても、不思議と皆にかわいがってもらえる。そして人は私に、その人の人生をちょっぴりちぎって分けてくれる。私もお礼に、私の人生をちょっぴりちぎってプレゼントする。こうして私は皆の人生をつぎはぎしながら、己の人生を大きくひろげていくのだ。

 さて、これで私は勉強ができるようになったのでしょうか。



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