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コロナ禍 わたしの肌感覚編

コロナによる緊急事態宣言が発令されたのは、4/7。
5/25に解除されるまでおよそ一ヶ月半。

3月あたりから不穏な空気が漂い始め。
3/29に志村けんさんの訃報を聞いてから一挙に空気が張りつめたのを覚えています。

通夜も葬儀も自粛を求められ。
参列人数の制限。
料理提供の中止。
滞在時間の短縮。
式場などでのソーシャルディスタンス確保。
これは、ハードな部分の自粛にまつわる決まりごと。

現実は混沌としていた。

東京はコロナの最前線を張っていた。
毎日毎日、感染者数は増え続け死者も多数。
コロナ専用の火葬炉はフル稼働でも順番を待つ日が続いていた。
地方の菩提寺から、住職がお経をあげに都内にはいることも憚られていた。

地方に住む兄弟姉妹も県境をまたぐことが憚られ死に顔を拝むこともできなかった。
老人施設に入所していた人は家族の誰にも会えずにいた。
そうして一気に衰えてしまい、意識混沌してからやっと面会が許されるが会話など成立せず、息を引き取る方も多数いた。残された方は、心を置き去りにしたまんま。

病や怪我で入院していた患者さんも面会はかなわず。
退院してからの予後に対する、家族と本人の不安は図り知れず。

料理屋さんは。
春先のイベントも中止。夏のプールサイドの営業もかなわず。葬儀も料理は提供中止。人が集まることもないのでパーティーやら歓送迎会やらの類いもすべてキャンセル。
配膳会に所属するパートさんの仕事は干からび、こんなにあっさりパッタリ無くなる仕事の怖さを目の当たりにしていた。

お花屋さんも然り。
卒業式や入学式に飾る花もキャンセル。
人事異動で先輩に渡す花束も無い。
葬儀縮小で、せめて供花だけでも出るかと思いきや。
そうでもない。花屋さん専門のパートさんにも仕事は回ってこない。先々の不安に覆い尽くされて体調を壊す仲間もいた。

はじめの頃は、「コロナ憎し」の苛立ちに包まれていた。

葬儀もまともに出してあげられない。
料理も出せず、省略ばかりで失礼に当たらないか?
東京と。それ以外の地域でのコロナに対する感覚の差には大きく開きがあり、トゲトゲと今すぐ噛みつけるモノを探している人も多く存在した。

あれから、七ヶ月が過ぎようとしている。

もはや、国民の義務と化した
手洗いうがい
消毒
マスク
は定着し。
うっかりマスクを忘れることも少なくなった。

遠くにいる、菩提寺さんも都内の檀家さんの元を訪れてくれるようになった。

料理も、お弁当のお持たせとか、増えつつある。
何より、料理屋さんの企業努力で
今時の通夜料理は画期的だ。

煮物も、今までの大皿と量は変わらず。
しかし、小さな器に小分けにして盛り合わせており、大皿を皆でつつくことの無いよう、一人分に盛られたお皿を手元に取れるように工夫してある。
それぞれラップがかかっているので食べたい人が食べたいものを手元に取り寄せてからラップを外して頂くよう配慮されている。

お寿司も2~3貫ずつ器に入っている。鮪 サーモン ホタテ…とか。ぶり 穴子 いくら…など、お好きなものをチョイス。

素晴らしいと思いませんか!?
透明の仕切りを立て掛けたり、部屋にはいる時には必ずアルコールスプレーを手に振りかけてくれたり。
商魂逞しいと言えばそれまでだが、踏ん張る様が美しい。

最近になって、通夜と葬儀、両日執り行う人が増えてきた。料理はいまいちだが、お持たせのお弁当をお配りしたりして義理を果たし、そこに遺族の想いも乗せている。

皆、葬儀現場の関係者は働けることの喜びを噛み締めている。ありがたいね、感謝だね、と、そこここで耳にする。

葬儀屋さんにもよるけれど。

ここで結構差がついたと思う。

壇上で大あぐらをかいている葬儀社は、下請け業者に知恵を出させ自分は協力もせず経費も払わず、せめて下請けにねぎらいの一言、せめてお褒めの言葉ひとつ、もかけられない。そのくせ客には「うちはそういう業者しか使わないから」とか、言い放つ。不愉快極まりない。

この業界、葬儀社がヒエラルキーの頂点だと信じて疑わない葬儀屋。うんざりする。
いつまでも、気づかずそのまま行くんだろう。

このご時世。
少しでも料金抑えましょう。
きちんと話し合って、言った言わない避けましょう。出来ることと出来ないことを明確にしましょう。
知ってる限り経験の限りの知恵を差し出して、親身になって考える。そんな葬儀社もたくさんある。

だからって。手を抜くことはしない。
我々下請け業者にも値下げとか据え置きとか言い出さない。苦境を耳にすれば、じゃああーしよう?こーしよう?と折り合いをつけてくれる。お互い、つぶれたら元も子もない。なんとか踏ん張ろう!と、声をかけあってくれる。

励まされる。
だから、半年耐えられた。

ここ数年で。
わたしは自分の「職」を精査したから。
人の気持ちのわからない所には自分からご遠慮申し上げた。

葬儀の現場はその時一回限りのチームを組む。
知らない顔、知らない人たちが集まって。
この、一回限りの、人生にただ一度の葬儀を
チームで全うする。

職種は別でも。
雇われ先のカラーが出る。
雇われ先はどうでも、担当さんのモチベーションでめちゃくちゃ働きやすくなったりもする。

人と人との関わりのなかで。
おれはこうだから!
うちはこういうやり方だから!
あたしはこうだから!とエゴを通そうとすれば殺伐とした現場になり、空気も悪くミスも増える。そんなもんだ。

そんなエゴ人材も多い。

わたしは言いなりにはならない。
葬家の負担になるようなことは看過できない。
なので、言いなりにして威張りたい葬儀社からは依頼が来ない。

プラスαとして働かせてくれる社長さんには感謝しかない。本当にありがとうございます!

コロナで。
たくさんのことが剥き身になったと思う。

60代のおばーちゃま。
腰を骨折してるという。歩くのもやっとだ。
娘さんは両目が真っ赤に充血していて手を怪我して包帯を巻いている。
2人して。どうしたんだろうか?

自宅で看取ったおじーちゃん。
死ぬ寸前まで、常に怒りに刈られていたそうだ。
昔からずーっと。死ぬまで。
死ぬ数日前に、おばーちゃんは突き飛ばされて骨折。
娘さんもなにをかいわんや。

そして、自宅療養中だったおじーちゃんは死んでしまった。検死もされて、病死だった。
入所施設からも断られて、行き場がなかったらしい。

葬儀を出すなんて飛んでもない!
そんなお金はない。身体も痛い。辛い。
2人は口を揃えて訴える。
葬儀は執り行わず火葬した。

骨壺を周囲の人に見られるのが嫌だから、と。
袋を持ってきた。スーパーのレジ袋。
白菜かなんかのちぎれた葉っぱが中に残っていて、うっすら湿っているそのレジ袋に。
骨壺を入れて帰っていった母と娘。

コロナのお陰で救われた、と言っていた。
親戚にも「コロナだから」と伝えたら皆納得してくれたそうだ。

中には、きちんとした葬儀を出してあげたかった、と、無念さを滲ませる遺族もいる。

色々だったけど。

私の肌感覚としては。

コロナのお陰で葬式代かからなくてホッとした家族の方が多かったような気がする。

ちゃんとしてあげられなくてごめんね。と、思ってる。
実はホッとした。コロナのお陰、と思ってる。
どちらにせよ。
見送られる人は、そういう、生き方をしてきたのだ、と思う。

人は産まれて死んで行く。
0歳でも100歳でも、その人間が死ぬ確率は100%..
「その時」がいつかわからないだけ。

あした死んじゃうかも知れない
コロナであっても無くても。
変わらない事実なのだ。

葬儀にまつわるアレコレをつらつらと書き連ねております。

街のお母さん食堂を作りたい!シングルマザー専用のアパートを運営したい!障がい者雇用を産み出したい!人生100年!社会とのコミュニケーションがないと人生つまらない!夢は壮大です。生きづらい世の中ではあるけれどもまだまだ捨てたもんじゃない!小さくても1歩目がなくちゃ未来は始まらない!