見出し画像

【再演】Q:A Night At The Kabuki【感想】

 初日が延期になる中、果たして無事に幕は上がるのかと、当日、その席につくまで不安でした。そして、どうにか無事に見ることができました。
 初演の時は2回見に行きまして、1回目は舞台にどえらく近い位置で役者の演技に巻き込まれ気味に感動を浴び、2回目は端っこの席でもその気持ちを引き摺って鑑賞を終えました。
 再演の今回の席は遠からず近からず、しかし真ん中の良席でした。この舞台、後半が上下段に分かれて進行するため、全体を見渡せる位置で鑑賞したいと思っていたので、まさにうってつけの席位置でした。そんなわけで、初演の時よりはかなり落ち着いて見られたように思います。
 感想を書くにあたり、参考文献に挙げられていた『収容所から来た遺書』(辺見じゅん著)を読み、新潮に収録の初演脚本と書籍版の脚本集を斜めながらに読み比べました。

⚪︎脚本について
 脚本集の方では、奥付に「大幅な変更がある」とあったので、はて?と思いながら読み進みましたが、確かに細々と変更がある。初演の時より公演時間も減ったので、主に削りですね。言葉遊びに部分、その中でも本筋に関係のないところがバンバン削られ、より内容がストレートにわかりやすいものにブラッシュアップされていました。
 演出面で印象に残っているのは、頼朝登場時の風船増し増し。あんな増やし方ある!?ってなりました。ここの部分、脚本だと「空から舞い降りてくる」としか書かれてないところがまたおもしろい。あと、義仲と巴御前のシーンも、初演と違った印象がありましたが、あんまりこのへんは覚えていない。

⚪︎演技について
 初日から2〜3日後に見たせいなのか、再演だからなのか、主要メンバーは全体的に落ち着いた、安定感のある演技をしていたのが印象深かったです。
 特に、若ロミオを演じた志尊淳は、前回ベテラン二人と、脂の乗った舞台初体験の広瀬すずに飲まれたような感じで、あまり印象に残っていなかったのですが、今回は声もよく出ていたし、舞台で相変わらず動き回るしで、引けを取らない演技を見せてくれました。広瀬すずもいい意味で落ち着いた演技をしていて、安心しました。
 ベテラン二人の、まるで夫婦漫才のような、慣れ親しんだ掛け合いが最高でした。ここは安定だなぁ、と思いながら見ていましたが、ラスト間際の松たか子よ…。霧笛を思わせるかのような、「おぃーい」という長尺の呼びかけ! 彼女の声は舞台役者として非常に素晴らしいものがあるのですが、加えてこんな長々と息が続くの…、と。そして、その長さの分だけ、哀切が込められている。
 今回、アンサンブルの役者は入れ替わっているようで、その中でも一際目立つ存在がありまして、彼は誰だ?と名前を調べたところ、どうやら東京演劇道場が演じた「赤鬼」の配信版で見た方だとわかりました。演技もそうなのですが、この方も声の質が非常に印象に残る。あのしわがれた感じで、舞台から客席へと届くのだから、すごい存在感だ。森田真和さん、覚えておきます。

⚪︎元ネタとの兼ね合いについて
 実質3回目の鑑賞だったので、落ち着いて本の方を咀嚼できたように思います。参考文献を読んで、理解も深まりました。あと「平家物語」も別媒体でだいぶ摂取したし…。
 冒頭の、一人取り残されるロミオの図は、舟の演出と「平家物語」が頭にあるので、「足摺」から来ているのだとばかり思っていましたが、『収容所から来た遺書』にそのままなシーンがあり、こういうところから着想を得たのかもしれません。
 舞台の後半で唐突にロミオが失明するのですが、あのへんの「平家物語」関連だったのかもしれない? 平家は琵琶法師が武者たちの亡霊の声を聞いて語られたものですが、そこが「面影」となったロミオとジュリエットにも繋がる気が。
 『収容所から〜』には、他にも7年間音信不通でようやく手紙の行き来が許されたがゆえに「新妻」との7年ぶりの手紙のやりとりとか、舞台に通じるようなエピソードがいくつも拾えます。
 遺書を暗記して届ける、というのは実際に行ったそうで、このエピソード自体、ある個人のために尽力した人たちが複数いたということで、舞台とはかなり印象が異なりました。
 舞台を見ると、収容所での過酷な暮らしが「愛する力を奪った」というふうに解釈できるのですが、実際に暮らしていた人々は、祖国へ残してきた家族への想いを胸に、何としてでも生きて帰ろうと、必死に日々を過ごしていたようです。舞台におけるあのエピソードは前段階に「戦争」があるので破綻はしませんが。
 今年の冬に実写映画化されるようで(しかも二宮和也主演で)、そちらも見に行きたいかもしれない。

⚪︎『フェイクスピア』について
 先の『収容所から〜』と、再演に当たってのワールドツアーとで、作品としては次にあたる『フェイクスピア』についても考えてしまった。8月12日も近かったので。
 『収容所から〜』では、ともかく人間ってすごい、という気持ちが強まった。食べるものもろくに与えられず、極寒の地で強制労働させられるという極限の状態で、人間は何をするのか。彼らは勉強をするんですよ。そして、俳句を詠むんですよ。詩を書くんですよ。
 時期はそれぞれ、規制されたりなんだりする中で、作るものは変遷していきますが、ここで人を救うのは「文学」なのかという思いが。
 もちろん中心人物が知識人だったということもあったと思いますが、全然学のないような人たちも詩作に心を救われていく。当然、文具なども貴重なので、時には地面に棒で書いて句をしたためる。そうやって心を慰める。一つの詩を見て、シベリアにも空があるのだと気付かされる人の話があるのですけど、実際に空を見て気づくのではないのですね。文字を見て、言葉を見て、そのものに気付く。すごい。人間ってすごい。
 ──っていう本を参考文献に記した舞台の後に、虚構に満ちた戯曲の言葉を否定するような『フェイクスピア』を書くわけだよ。どういうこっちゃ!?
 同時に、この舞台の肝はあの言葉の一群にあるわけで、もしこれをワールドツアーか何か、他の言語で…となったら、まったくの別物になってしまう。『Q』のツアーも、それに当たって何の言語で公演されるのかまではわかりませんが(てっきり英語でと思っていたけど、日本語のままでやってガイドをつけるのかもしれないなと今更思い直した)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?