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エビデンスとの距離感

2020年3月29日、#SNS医療のカタチONLINE vol.2 が配信された。
今回は、大塚篤司先生が『エビデンス』について解説してくださった。

医療分野において『エビデンスがある』とは一般的に科学的根拠を意味する。
なので、まずはエビデンスの有無を確認することが重要な作業となる。
とはいえ我々のような素人は医学的知識が不足しているので、書籍や記事・ブログ、SNSにおいては出典の明示があるか注意しなければならない。

さて、無事にエビデンスが有ることが確認できたとしよう。
だが安心してはいけない。
次に確認すべきはエビデンスが高いか低いかという点になる。

「良いエビデンス、悪いエビデンス」というわけではないが、エビデンスにはレベルの違いがあるということは知っておきたい。
配信でも大塚先生が提示されていた(7分54秒付近から)が、エビデンスのピラミッドというものがある。
多くの研究者がランダムなデータから導き出した信頼度の高いものから、特定の専門家が提唱しているに過ぎないものや動物実験の段階、試験管での実験の段階のものまで極めて幅が広い。

上下階層での表示もよいのだが、現在最も信頼性が高いとされるエビデンスを中心として図示してみた。
中心点からの距離がエビデンスの高さ低さを表していると考えてもらってよいのだが、この同心円はもっと間隔が広いのかもしれない。
たとえば地球の軌道と天王星の軌道くらいの差はあるのかもしれないが、あくまでぼくのイメージなので注意いただきたい

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ちなみにコホート研究とは、ある病気と習慣に関連性があると考えられる場合、その習慣を持ち病気にかかっていない集団を長期にわたって追跡・検討するもので観察研究のひとつだ。
肺がんと喫煙の関係を研究するケースを思い浮かべてもらうと理解しやすいと思う。

基本的には中心部分のエビデンスがある治療方法を採用するのが正しい選択なのだろう。
ただ、病気によってはいくら高いエビデンスがあったとしても必ず患者に合うかどうかはわからない。
場合によっては少し中心点から外れた治療方法を取らざるを得ないケースもあるだろう。

また、医療者が勧める治療方法が肉体的・精神的負担を伴うものであるケースも考えられる。
患者が苦しがろうと嫌がろうと一番可能性の高い治療方法を勧める、ということが患者のQOLを阻害しないことなのかどうかという問題もある。
それに加えて患者、家族、医療者それぞれの「希望」は実は噛み合っていないことも多く、かなり深い話し合いをしないとすり合わせが難しい。
エビデンスとナラティブの塩梅は患者によって異なるし、同じ患者であっても時間の経過によっても変化する。

このあたりは幡野広志さんや西智弘先生が患者の立場、緩和ケアに携わる医療者の立場から情報発信されていて、社会の問題として皆が考えていかなければならない重い宿題になっているとぼくは思っている。
配信の中でも4人のドクターとも『エビデンスがすべて』とは言わなかった。

ここ半年ほど医療の情報と積極的に触れるようにしてきたぼくが思うのは、患者と家族と医療者はチームを組んで病と向き合わなければならないということだ。
治療方法にしても厳しい選択を迫られるケースもあるだろう。
ただ、少なくともこれから進める治療方法がどの位置にあるのかくらいはチームとして理解したうえで選択する必要があるのではないかと感じている。
少なくともぼくが病に伏したときはそうしたいと思っている。
これから受ける治療が、Aの治療なのか、Bの治療なのか、Cの治療なのか、または組み合わせになるのかは理解しておきたい。

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そして家族との話し合いや治療方法の選択は、患者自身に意思表示能力がある時でないとできない。
急激に悪化してしまい患者本人が何を望んでいたのか分からないままというケースも少なくはないと聞く。
この時期、一度家族でぼんやりとでもよいから話をしてみるのもよいのではないかと思う。
急に深い話をするのは頭も心も準備ができていないだろうから、本当にぼんやりとでいいと思う。
それを繰り返しながら「こうしたい」と「こうしてあげたい」をすり合わせていくことが大切なのではないかと考えている。
ぼくも両親はとうに亡くしているが、世話になり続けている独り身の叔母と話をしてみようと思っている。