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条件付きの幸せを無意識に作ってた


私は「助けて」ということが苦手でした。

「助けて」って言えないことが自分を苦しくしてる。
「助けて」って言えないからうまくいなかいんだ。

そんな風に思ってからは
「助けて」と言えない自分を発見する度に

助けてって言えない自分を乗り越えようってがんばってた。

助けてって言えない自分を責めてることも
ダメ出ししていることも気づかなかったけど、
「助けてって言えなかった自分を責めなくていいんやでね」
そう言われて、
無意識のうちに自分責めとダメ出しをしていた自分に気づいて
ふっと楽になった。

「頑張って乗り越えようとしなくていいんだよ。」

そう言われて、自分が今まで
どれだけ「ダメ」とジャッジした自分と
戦ってきていたのかに気づいた。


保育園時代に預けられた先で
すごく変な感じで身体を触られまくる経験と
小2か小3の時の誘拐未遂。


「助けて」ということは、私にとって
「=居場所がなくなること」「=殺されること」
だった。

あの時の恐怖、嫌悪感、不快感、悲しさ、なんとも言えない感覚。
私はその時感じた感情と一緒にそれらの出来事を封じ込めた。

保育園の時は何が何だかわからなかったけど、
嫌な感じはずっと残ってた。

誘拐未遂に関しては
私に声をかけてきて連れ去ろうとして色々してきた男の人が
逮捕されたというニュースを知っても
そうなんだ、くらいにしか思わなかった記憶がある。

親にも先生にも、私の身に起こったことを伝えることはなかった。


その出来事と向き合うことになったこの数か月。

ただの写真の一部で、他人事だった出来事がしっかりフラッシュバック。

死ぬかと思った。しんどかった。苦しかった。

好きなライブハウスに行くのも緊張しちゃうし、
バンド練習だって楽しめない。

身体もボロボロになった。
何もできなくなった。

「助けて」って言えないから
一人で頑張るを続けてきていた今まで。

今回だけは一人でがんばることは限界で
話を聞いてもらうこと、たくさんしてもらった。

「乗り越えようとしなくていいんだよ」

そう言われて、衝撃を受けた。

「えっ?乗り越えなくていいの?」

頭の中がちょっと停止した。

数日経ったら

私の視界には証明写真みたいな感じで
上半身だけの相手しか見えていなかったのが、

段々相手の全身が見えるようになった。

相手に「嫌だ!やめて!」そう言って
蹴り飛ばす動作をして大人の私がじたばたしてた。

思いっきり怖がって、たくさん泣いて。
その後に
乗り越えなくていいって言葉が入ってきて。


しばらくして私の記憶の中の出来事にスペースができた。

身体をいじられていた部屋全体が見えるようになった。

誘拐されかけたあの林の中の建物全体が見えるようになった。

「逃げられる空間があるんじゃん」

そんなことに気が付いた。


やっと今の私が昔の私に入り込むスペースができた。
小さい私と今の私とで一緒に逃げた。
怖かったね、嫌だったね、気持ち悪かったねって
一緒に泣くことができた。

その後に私が小さい私に言ってあげたこと。

「助けて」って言えないまま大人になったけど、
沢山の人が私を助けてくれてるんだよ。

すごくステキな人たちに囲まれてるの。

子どもも3人も来てくれたの。
子育てしてく中で、「助けて」が言えれば
何ができてもできなくても、生きていけるって思ったし、
沢山支援もしてもらって、助けられる経験を積んだの。
子どもたちはどんな私も好きだって言ってくれるの。
沢山の人とのつながりもおかげでできたの。
すごいギフトだよ。

私の気持ちの波によりそってくれる人もいるの。
状態悪いって気づいてくれる人もいるの。
いてくれるだけでいいんだよ、そんな言葉をかけてくれる人もいるの。
めんどくさいってなりながらも、
一緒にいてくれようとする人もいるの。

だから、もう大丈夫だよ。

閉じこもってなくていいよ。出ておいで。

そんな感じで一緒に話をした。


小さな私がちょっとずつ
「助けて欲しい」って言い出した。

助けてほしかったよね、怖かったよね。

大きな私がちょっとずつ
「助けて欲しい」って言ってみることをしだした。
自分の「こうしてほしいな」を正直に伝え始めた。

その度に、小さな私が言うの。

私のために時間を使ってもらうなんて申し訳ないよ。
断られたら怖いよ。
迷惑かけちゃうかもしれないじゃん。
嫌われたらどうするの?
私ここにいられなくなっちゃうかもしれないじゃん。

全部わかるよ、その気持ち。
そうだよね、ほんとすごくよくわかるよ。

自分の中に出てくる正直な気持ちに、
全部、そうだね、わかるよ
そう言い続けた。

自分のことを心底わかってあげられるのは
本当に自分しかいないんだ。

それを感じた瞬間だった。

仕事柄、トラウマ解放やインナーチャイルドの癒しの方法は
何種類か知ってる。

方法通りにイメージをしていくことはやってきてたけど、
今回は初めて脳内のイメージが自然に変わった。

今まで助けてって言おうとしたことも言ってみたこともあった。
でも喉がつまって苦しくなった。

行動だけ変えようとするのは無理があるんだ。
そう思った。


行動を変えるより、自分の声をしっかり聞いて
ただただ頷いて聞いてあげる時間。
私にはそれがすごく必要だった。

思考で分析して感情を出すんじゃなくて、
しっかり感じることが本当に大事だったんだと思った。


今まで
ダメ出しの数だけ、〇〇ができる人間になるための
行動目標みたいな行動を設定して
自分との戦闘態勢が始まってた。

やろうとした行動ができない数だけ、また自分を責める。

そしてその数だけまた、乗り越えるべき壁ができて

幸せな自分になるための条件みたいなものが増えていってたんだと思う。


それから私の合言葉は
「そうだよね、わかるよ」になった。


自分に対してうなずいてひたすら聞いてあげること、
毎日徹底的にそれをして、
安心できる仲間に
助けてを言い始めることができるようになってきたら、
子どもが変わった。

長男が頼んだわけでもないのに
連日食器洗いをしてくれるようになった。
洗濯物をたたんでくれるようになった。

「さとこちゃんも、これで楽になるでしょ」

「うん、ありがとう。
 無理しなくていいからね。ありがとう。」
そう答えて、泣きながら食器洗ってる長男の隣に立ってた。
長男は何も言わずに私より超丁寧に食器を洗ってた。

長男の一言でまたポロっと私の中の何かが外れた気がした。


助けてが言えない自分にも
助けてをがんばって言おうとしてる自分にも
助けてって言えた自分にも
そこにくっついてくる色んな感情にも

全部全部
そうだね、わかるよって
しつこいくらい言ってあげよ。

助けてが言えなかった私が
この数か月は助けられる経験をたくさん与えてもらってた。

色んな人に
たくさんの気づきを与えてもらった。

ほんとにありがたい・・・

おかげで元気がでてきたよ、
本当に本当に
ありがとう。






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