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白痴化の先の未来は明るいか。

『未来少年コナン』(宮崎駿の初期のアニメーション。工藤真一ではない)において、超磁力兵器が最終戦争にて用いられ大地殻変動が起きて多くの都市が海中に没したのは2008年。もう12年前。

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今、日曜深夜にNHKで再放送しています。
オススメです。

『2001年宇宙の旅』では原子力ロケットディスカバリー号の人工知能HAL9000が反乱を起こしている。それももう19年前のこと。

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もしかしたらコロナ禍というものは、20世紀のSF作家が想像しきれなかった新たな形の苦難なのかも知れないとも思えます。

そんな中、新たな技術を使って新たなサービスが始まり、新たな生活スタイルが生まれて来ています。

『仮面ライダーゼロワン』ではAIが実用化され人工知能搭載型人型ロボット「ヒューマギア」が様々な仕事で活躍しています。

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とエンターテイメントに毒された導入ですが、AIとの付き合い方について真面目に考えてみました。


いま、もう未来だった

僕たちの思い描いた夢の未来とは、車にタイヤが無くて、朝起きると自動でコーヒーを淹れてくれて、立体ホログラムで世界中の人と通信が出来て、タイムマシンに乗って過去を変えたり、他の惑星に移り住んだりする世界ではないでしょうか?
世代による違いはあるでしょうけど。。。

そんな未来はずっと先の話だと思っていたけれど、ふと気付いたら既にすぐそこまで来ているようです。

車にタイヤはまだ付いているけれど運転自体は自動化されつつあります。高機能な電子レンジは料理もしてくれるし、人工知能がテレビやエアコンをつけてくれるし買い物だってしてくれる。何なら話し相手にもなってくれる。リモートで会議をするのもあっという間に当たり前のことになり、会社を辞めて月に行く人がいるらしいと聞けば、もうこれは夢の未来だと言っても良いのではないかと思うのです。(タイムマシン以外は)


IoTのつくる便利な世界

建築においては、家中の設備や家電製品をインターネットに繋げることで、スマートフォンひとつで外出先から部屋の照明を消したり、宅配業者の対応を遠隔でしたり、帰宅前にエアコンをつけて室内の温度を調整したりすることが出来ます。

プログラムしておけば起床時間に合わせて部屋のブラインドが自動で開いてクラシック音楽が流れる中で優雅に目覚めるなんてことも出来ちゃいます。
これはもう完全に未来の家でしょう。

これらはIoTという最先端技術によって生まれたサービスです。

IoTは「Internet of Things」の略称で、日本語では「モノのインターネット」と訳されます。
簡単に言うとIoTでは、モノをインターネットとつなぐことで、モノから情報を集め、モノを通じて、それを使用する人に対してジャストフィットなサービスを提供できます。 
出典:https://sackle.co.jp/blog/detail/484-2

・社会を便利で快適にする素晴らしい技術。
・少子高齢化社会のニーズに対応する発展性をもつ技術。
・限りある地球の資源を有効利用できる技術。

これに異を唱えるなど、ただの懐古趣味人かただ反対したいだけのプロ市民か。文明人の風上にも置けないと言っても良いかもしれない。

だからこっそり言います。

・・・別に無くても良いよ。と。

第二次一億総白痴化

1950年代、テレビが普及し始めたころに「一億総白痴化」という言葉がありました。
白痴というのは、差別用語とされることもあるようで現在は使われませんが、知能の程度が低いことをいいます。

テレビは映し出される映像や流れてくる音声をぼんやりと受けとるだけなので、人間の想像力や思考力を低下させるといったことを指摘し、注意喚起している言葉です。

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僕はこのテレビの普及と現代のIoTの普及は似ていると思っています。AIがやってくれることが増えれば増えるほど、人間は考える時間を減らすことができます。これは便利になるということなのですが、同時に人間が知恵を絞り出す必要が無くなっていきます。
情報の受け取り方が受動的になり、自分の頭でさまざまな想像や思考を凝らすことが減るという点でテレビと非常に似ています。

もともとやり方も工夫の仕方も知っている人にとって、あんなに苦労していたことが簡単に出来るようになった。
→ それで余剰の時間が出来た。
→ もっと楽しいことをしよう!
であれば何の問題もありません。

でも人間は忘れる生き物。
考えることをしなくなればすぐに忘れてしまいます。

便利になればなるほど、人間はバカになっていく。
だから僕はこのIoTの普及を「第二次一億総白痴化運動」だと思っています。


ウォシュレットの苦悩

例えばトイレの進化を見てみます。
日本の便器は世界一です。
いかに快適に排便をさせ、おしりを綺麗に洗い、トイレ空間を清潔に保つかということを圧倒的な技術力で追求し続けている日本のメーカーは世界一だと確信しています。(当社比)

しかしながら現代のメーカーには「より便利に、より高性能に、より多機能にしないと売れない」という強迫観念が蔓延しています。

便器に関しては、暖房便座やウォシュレット付きなのはもう当たり前となり、より少ない水量で排水できるようになり、より掃除がしやすい形状になり、(さらに快適性を求め)トイレ自体の消臭と暖房機能をもち、音楽を鳴らし、(もうこれ以上やることが無くなったのか)そしてついには汚物をブルーにライトアップするということまで始めています。謎の遊び心。

ここにIoTが加わればもう、トイレの空室状況だけでなく健康管理までしてくれるようになります。
(肛門のしわの数で個人を特定するらしい。嘘のような本当のハナシ。本当に実用化されるそうです。正気か? そうなれば指紋認証ならぬ肛門(紋)認証が一般化するのだろうか。人前で職務質問とか受けたくない。。。)

もし他の家電同様にしゃべる機能もついてくれば、「今日はいいうんちが出ましたね」とか「昨日にんにく食べましたか?」とか「もっと噛んで食べなさい。」とか便器が言ってくるのです。うるさいよ。

そうなれば便座はもう唇みたいなデザインにした方が良いかもしれない。ダリのソファーみたいに。

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では、それに対して人間の排泄行為はどう進化したのか?と言えば、全く進化していないのです。
食べて、消化して、吸収して、排泄する。
変わったのは、おしりを葉っぱで拭くか紙で拭くか水で流すかの違いぐらい。

人間の消化器官を改良して、おしっこをグミにする技術も、うんちをお風呂に浮く黄色いアヒルに変換する技術もまだ無いのです。

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つまり人間の能力は変わっていないのだから、ウォシュレットがあろうとなかろうと排泄は出来るのです。
現代のトイレについているオプション機能は、人間生活に無くてはならないものではなく、あったらいいなという程度のものだということです。

要らないものだとは言っていませんのよ。
そもそもその程度のものであるということを認めたうえで考えることが大事だと思うのです。

ウォシュレットを上手く使えて、健康管理も出来ればその方が良い。

でも、ウォシュレットが無いから排便できませんでした。真っ赤なうんちが出たけれど便器が何も言ってこなかったから多分大丈夫です。
っていう若者が出て来るんじゃないかとおじさんは懸念するのです。


逡巡(しゅんじゅん)しながら変わる

小津安二郎の映画の中では、笠智衆(りゅうちしゅう・昭和の名俳優)扮するお父さんが「一億総白痴かぁ」と嘆きながらも、失業して電化製品の営業マンになったご近所さんを助ける為、欲しいとねだる子どもの為にテレビを買います。

小津 安二郎 「お早う」テレビが来た

今の僕はこのお父さんの気持ちです。

IoTは素晴らしい技術で、それを応用したサービスの中には本当に社会の為になるものがあります。
でもその陰には失うものもあります。

今、恐るべきスピードで技術が進歩し、生活が便利になっていっています。
だからこそ、それを便利にする事で失うものは何だろうか、本当に必要なことは何だろうかと考えながら、柔軟に悩みながら取り入れていくことが良いのではないかと思います。


白痴化を超えて

ところで、テレビが各家庭に普及した現在、一億人はみな白痴化したのでしょうか?
答えはイエスでありノーであると思います。

ただ受動的にテレビに影響を受けたらバカになったと思います。みんなそういう経験もあるのではないでしょうか?テレビを見てて気がついたら1日終わっていた。でも何も覚えていないという空虚な経験。

でもテレビで何かを知り、それをキッカケとして自分で深めていったこともあるでしょう。時には大きな決断にも影響したかもしれない。

それは受け手の、つまり消費者の受け取り方によるのだと思います。与えられたものをキッカケとして考える・感じることができるかどうか。

「消費はメッセージ」という哲学を書いておられる方がいました。買い物をすることは、なぜそれを買うのか、何が良いと思うのかを表明することでもあります。

便利だから買う。ではなく、それが便利になったら何が良いのか。そのお陰でどんなことが出来るようになるのか。を考え納得できるものを選びたい。
(全部じゃないですけどね。疲れちゃうので。)

選べることは豊かなことだと思います。省力化のためにAIに手伝ってもらうことは良いけれど、自分が考えて決めるべきことをすべてAIに任せたら本当にバカになると思います。

AIの時代は第二次一億総白痴化の時代。気を抜けば白痴化します。
でも、選ぶ楽しみや本当に自分でやらなければならないことを再考するチャンスでもあるのです。

言い換えれば、白痴化を乗り越えたその先にこそ明るい未来が拓けている!のかも知れません。



noteを始めてから、考えていることをどう書いたら伝わるだろうかと試行錯誤することが楽しくなりました。 まだまだ学ぶこと多く、他の人の文章を読んでは刺激を受けています。 僕の文章でお金が頂けるのであればそのお金は、他のクリエイターさんの有料記事購入に使わせていただきます。