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シャイニング豆まき2023

2月3日は節分だ。

恵方巻きは用意し忘れたが、とりあえず豆まきはやっておこう。
17時すぎ、保育園へお迎えに行くと、娘(2歳)のお手製の鬼のお面と豆入れが渡された。
鬼は怖さのかけらもない、とぼけた表情をしている。
顔のパーツが左に寄っているのはご愛嬌だ。
帰り道、誇らしそうにそのお面をつけた彼女の姿を見て、こういう狙ってない可愛さ出すのは、大人になってからじゃ作れないんだよなぁ、なんて考えたりしていた。
握った手は、気がつけば少しずつ大きくなっていた。

去年の節分。
娘は、1歳1ヶ月だった。
玄関から鬼の怖いお面を着けて登場した、不審な大人にびっくりして、私の脚にひっつき終始大泣きしていた。
鬼の方が恐縮してすぐ引っ込んだ。
今年はどうだろうか。

「ピンポン鳴らしたら入るね」
と、律儀な鬼(旦那さん)と打ち合わせし、
玄関のチャイムが鳴る。
「ピンポーン」
「はーい」
「まる、鬼がきたよ!」
「?!」
玄関から「うお〜」と控えめな呻き声を上げながら登場した不審な大人は、黒のカットソーに黒のパンツ、ひょうきんな動き、まるで新人のショッカーみたいだった。
心優しいため、金棒など武装しておらず、丸腰。
迫力は無い。
すごくこちらの様子を伺っている。
ポケモンだったらすぐに捕獲できそうだ。
しかし娘は、唐突に家族以外が家に入ってくる物理的怖さを感じていたのか、固まっている。

「…ぱぱだ」
1年の年月は、随分娘を成長させたようだ。
的を得た冷静な判断をしている。
だが、近づこうとはしない。
「鬼には豆を投げるんだよ、こうやって、鬼は外〜!」
私が流れ作業で豆を投げると、鬼は怯えた声を出してたじろぐ。
それをじっと見ていた娘に
「まるは投げないの?」
と問うと
「投げない」
と、口をきゅっと結んで言った。

そのとき思った。
顔は目の釣り上がった強面の鬼の姿をしているが、
あれはどこかでパパなのだと悟っている。
取り憑かれてしまったのだろうか?
やっつけてもいいのだろうか?
固く結んだ口元から、そういった迷いが感じられた。
娘なりの精一杯の優しさだったのかもしれない。
私は次の豆を投げたと同時に、なんて自分は浅はかなんだと思った。

この感覚は覚えがあるぞ。

エクソシストの少女に悪魔が取り憑いたとき。
シャイニングで家族を愛していた父が狂気に飲み込まれていくさま。
スティーブン・キングはインタビューで言っていた。
「人々が私の小説に感じる要素のひとつに、暖かさがあると思っている。」
優しい父が豹変してしまう悲しみと怖さが、あの映画の表したいことの一部なのだ。
キングが撮り直したドラマ版はのシャイニングは4時間半あったが、美しく暖かく描かれていた。

大切なあの人はどこにいってしまったのだろう?
たぶん娘はそう思っていた。
豆2発でサッと退散した鬼は、父の顔をしてすぐさま玄関のドアを開けた。
「いや〜、なんか記憶がなくてさ…トイレに行ったつもりだったんだけど」
そういう設定らしい。
まるは父に抱きついたあと、しきりに
「おに、こわかった」
と言っていた。

まさか豆まきで、こんな切ない思いをするとは予想していなかった。
娘の心の成長を感じ、私たちは口を揃えて
「ママが鬼やっつけたから、パパ戻ってきたよ!」
そういうエンディングにしておいた。

さて、来年はどんな物語になるだろう?

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