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『大丈夫』って、なんだ...?


こんにちは。
最近、アレルギーがひどい天音です。


自分は食物アレルギー以外のアレルギーをたくさん持っているので、この時期になるとイネ科花粉とハウスダストが勢力を増してくるため、生きるだけで必死なんですよね。


さて、皆さんは「大丈夫」っていう時、本当に大丈夫ですか?

大丈夫っていう範囲、だいぶ広くとっていないですか?


私は今まで、かなり無理しないと生活ができないので、それが当たり前だと思って、きついけど、ギリギリまでなんとかすればできる、といったことに対しても「大丈夫」と認識していました。

でも、大丈夫って、「本当に余裕のある」大丈夫から「ほぼ確実に自爆する寸前だけど、なんとかなると信じたい」時の大丈夫というものまでかなり幅広く使えてしまうんですよね。

特に発達障害の特性や気分障害等の既往がある方などでは、この「大丈夫の幅が広すぎる」可能性があると思うんです。

上記に関係ない人であっても、

自分でやらなきゃ!

と思った時、咄嗟に出てしまうのではないのでしょうか。


私は大学に入って鬱になり、寛解に近い状態まで回復したと思われる今でも無理がきかなくなりました。
その中で気づいたのが、「自分の中の大丈夫は、本当に大丈夫な時に使う言葉ではない」ということ。

ちなみに「大丈夫」という言葉の定義は、以下のようです。

「大丈夫」の定義

1、あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。

2、間違いがなくて確かなさま。

あぶなげがなく、という時点で、キツかったり大変だったりしたら、言葉の定義的には、もうそれは大丈夫ではないんですよね。

でも、なぜか私たちは大丈夫って言ってしまう。


不思議なものです。


この主な原因として挙げられることは、大きく2つだと考えます。

1 自己分析能力が低い(自分の限界がわかっていない)

知識不足

限界って何かよく分からないということがあると思うのですが、人の心や身体が限界に達してしまった時には、何かしらのサインがあります。

そのサインを知っていれば、「だいじょばない」状態に陥る前に対処が可能になります。

回復してから私の過去の生活を振り返ると、私は今まで、かなりの期間、大丈夫ではない状態を大丈夫だと言い続けていたんだな、と再認識しました。

それからは大丈夫の範囲を少し狭めて考えよう、という考えになり、早めに他人に頼ったり相談することができるようになりました。

経験不足

人は、勉強で得た知識よりも、圧倒的に経験の中で学ぶものごとの割合が大きいです。

年が若かったりすると、そもそも人生における経験値が少ないことによる、自分の限界値を見誤るという失敗も発生しやすいのではないか、と考えます。

初めてやることに関しては、誰でも初心者。

それは人生においても言えるのではないでしょうか。

そして、その経験値集めの方法も人によりけりなので、その成長スピードや度合いも千差万別です。

中々自分から発信する機会が少ないと、この「経験値」を貯めるのに時間を要するため、

自分の大丈夫の範囲がどこからどこまでなのか、ということを学ぶのに時間がかかってしまうこともあると思います。

認知の歪み

皆さんは、「認知の歪み」という言葉をご存知ですか。

私はうつになってから知ったのですが、人は物事を感じ取るとき、その場所にある事実だけを認識しているのではなく、
自分の過去の経験や知識にもとづくフィルターを通して認識しているそうです。

この認識するためのフィルターが偏った思考になっていると、日常生活に色々な支障をもたらすことが多いと考えられています。

それを認知の歪みといって、これを少しずつ矯正していくことによって、
自分自身の状況をより客観的に捉えられるようになると言われます。

代表的な認知の歪み

・白黒思考
・過剰な一般化
・ポジティブ要素の否定
・結論への飛躍
・フィルタリング
・感情に基づいた判断
・過剰な拡大解釈、縮小解釈
・ラベリング、レッテル貼り
・個人化と非難
・べき思考

https://www.uraraka-soudan.com/column/91

認知の歪みは、心の健康を保つ上でもかなり障害となりうる要素だと思います。

特に白黒思考やべき思考に関しては、意識していてもいまだに自分も陥ってしまうことがあり、認知の癖は、そう簡単に治るものではありません。

だからこそ、普段からより意識をしながら。自分の認知をモニタリングする癖をつけることで、まずは自分の認知の歪みに気づくことができたりします。


2 大丈夫と自分に言い聞かせることで、最低限の安心感を得ようとしている(実際の事態から目を背けている)

現実逃避

目の前に広がる現実がひどいと、思わず目を背けたくなることもありますよね。

現実逃避の手段として、「大丈夫」という言葉を使って気を紛らわせようとしている方も少なからずいるのではないのでしょうか。

一時的には少しは気がまぎれるかもしれませんが、それが長期的に続いてきてしまうと、かなり大変です。

この場合の現実逃避とは、「無理している自分を無視して頑張り続けること」だと思っていますが、もちろん現実逃避をしているだけでは何も変わりませんし、辛い現実に向き合う気力もだんだんなくなってきてしまいます。

それであれば、まだ休む体力があるうちに、ある程度まとまった休息を取る方が合理的です。

この話は過去の自分に1番したいのですが、みんなに「頑張っているね」と言われて、やってますよ感出してアピールしているようにみられているのではないか、と思えてしまって、

もっと頑張らないとみんなに認めてもらえないんじゃないか

みんな自分のことを本当の意味で頑張ってるなんて言っていないんじゃないか

って本気で思っていたんです。

それこそ一つの認知の歪みでもあるのですが、当時の自分は頑張りすぎている自分に対して、自分はまだ頑張れていない、まだやれる。と、ある種の現実逃避をしていたのだと思います。

残念ながら、そのように現実から目を背けていれば、いつまで経っても本当の意味での「大丈夫」と言える時は訪れません。

人に頼ることが苦手

上記のような特徴を持つ人に多いのが、「人に頼るのが苦手」であるということだと思います。

私は昔から人に頼るのが苦手で、だからこそ自分1人で解決できる能力を高めることに全力を尽くしていました。

人に何か物を頼むことって、勇気がいります。

その勇気が小さくて済む人もいれば、たくさん心の中で葛藤した上でしか頼れない人もいるのも事実。

自分はどちらかというと後者です。

でも、人に頼れば、自分1人じゃ大丈夫な状態じゃないことでも、案外すんなり解決したりするんですよね。
うつ期間では、どうしようもなく、人に頼るしかない、ということが続きました。

この期間では、かなりたくさんの方面の方々にご迷惑をおかけし、助けていただきました。そのおかげで、順調に回復できた、という側面があります。

時には人に頼ることも大切だと実感したのでした。

結局、大丈夫って何?

じゃあ、結局大丈夫って何?

という話なんですが、つまりは

「人に頼らずとも充分にその物事をこなせる状態」
「安定しており、焦りを伴わない状態」

なのではないかな、と思います。
辞書の定義はあくまで言葉での定義で、自分の実情や実体験とは合わない所も出てくることがあります。

そんな時は、改めてその事について自分なりに考え、自分なりの定義を作ることで上手くいくことがあるのではないか、と考えています。

今までの自分の考えていた「大丈夫」
まぁなんとかなる、と自分で思った範囲でしか使わないようにする

自分なりの考え方として、ちょっとした図にまとめてみました。

これが正しいとも思っていませんし、なんならこれから自分の中での定義もコロコロ変わっていくとは思いますが、今現在の自分の考える、「大丈夫」という言葉の使い方を考察してみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
これからも定期的にさまざまなものの考え方、捉え方についての考察をしていこうと考えているので、気軽に「スキ」してもらえると嬉しいです。

ではまた。

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