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保護室日記

これは7月20日(木)から10月16日(月)までの約3ヶ月にわたる保護室に入室していた時の記録。
私は、7月20日の夜、大学病院に入院した。
混乱して興奮状態であったため、両上肢,肩,体幹,すり抜け防止の身体拘束を受けた。これは8月1日(火)まで終日続いた。
排泄 終日拘束といっても、排泄時は一時的に解除してもらえ、隔離室内のトイレで用を足す事が出来る。
入浴 拘束中も週に3回は清拭があり、許可が出れば見守り付きで入浴出来る。
食事
入院してから、食欲不振に陥り、点滴を抜き差しで11日間受けていたが、抜き差しなのは自己抜去するからで、それに伴って両上肢の拘束は中々外せなかった。拘束をされていても、抑制帯の長さをを調整してもらい自分で食べる事が出来た。
歯磨き,洗面
歯磨きも、食事と一緒に水やガーグルベースが入れられて自分で出来る。洗面所には行けないが、朝と晩に使い捨てのホットタオルで顔を拭ける。

主治医は指定医であり、行動制限最小限化にも、
もちろん取り組んでいる。そして、1日2回の回診と、夜間の当直医が診察に来るといった法律遵守された病院であった。
8月1日(火)
点滴が終わった。
身体拘束が時間中断になり、隔離になった。
といっても、隔離室を施錠せず、そこで拘束されていた為、見える景色は何も変わらない。ただ、ここで私は話すことが苦手な事もあり筆記用具の持ち込みが許可された。他にも音楽プレーヤー(イヤホン付き)や教科書の持ち込みも許可された。これで、今までの混乱を文字に起こし状況を理解し、振り返りを行える状態に近づいた。
また、この数日前、新たな病名がつけられたためこの日に行われた診察(面談)にて治療についての説明を受けた。
そして、8月8日(火)から終日拘束中断となり、転院日の9月26日まで終日隔離処遇となった。
隔離室での過ごし方
この病院は、本当に隔離室なのか疑うレベルで自由がある。なにせ、危険行為に繋がりそうな、シャーペンやボールペン、イヤホンが持ち込めるのだ。本を読んだり、音楽を聴いたり、日記を書いたり、横になったり何をしていても自由。
部屋にはカメラが2つあって、ナースステーションに声が聞こえるようにマイクがついている。部屋の前には事故防止のためカメラで撮ってるよ〜、家族から同意も得てるよ〜、といった同意書が貼られている。
私は何度もこの病院に入院しているが、一般病室に出ると刺激を受けて不穏になる事が多かった。それも考慮して隔離にしてくれたのかと考えるが、本当のことは主治医をはじめとした医療チームしか知らない。
9月26日
あっという間に転院日が来た。
というのも、大学病院は長期入院が出来ず、かつ、入院に至るなかで帰る場所を失ったため、新たな居住地を探す必要があり、それまで入院ということになるのだ。
転院先の保護室
第一、びっくりしたのが正直な感想だ。
4床ある保護室は、全てガラス張りになっており、私の部屋は手前から3つめで、奥に行くまでに全ての人の顔や状況が丸見えである。これは、なにか、YouTubeで見たような精神科じゃないか、ここは病院なのか、何が保護室だ、と思った。
食事を入れる小さなスペースが空いており、そこから他の部屋の声が丸聞こえ、叫んでる人やドアを叩く人がいるものなら、保護室に逃げ場はない。
なんで保護室?
転院先の主治医に言われたのは、「前の病院でも保護室だったでしょ?だから最初は保護室ね。」と。
そして拘束
ここに来た事へのショックで、パニックになり、自傷をした。主治医は体幹のみの身体拘束を指示した。すり抜け防止のため、片足に両上肢用の抑制帯が付けられた。
拘束中の食事,排泄,清潔ケア
食事 両上肢を付けられていないので、自分で食べた
排泄 ここにはナースコールもなく呼んでも来ない(刺激を避けるため)ので、オムツに排泄した。オムツ交換は1日4回定時。例え大便が出ても時間までオムツは変えてもらえない。
洗面 拘束についての書類に、ベット上または洗面所で行って頂きますと書いてあるが、私が拘束されている6日間でそれが本当に行われたのは片手に収まるほどである。
入浴 私は拘束を受けている間、入浴は出来なかった。清拭もされなかった。毎晩体が痒かった。我慢するしかなかった。
拘束解除、隔離
隔離になって、トイレが行けるようになった。入浴も主治医が許可を出してくれた。しかし、洗面は相変わらず日勤の看護師のその場で決めたような判断で実施されない事が多かった。
その後数日、終日隔離となり、
なんとか、1日4時間の隔離中断を10日間乗り越えて、隔離が終日中断、解除となった。
隔離室の衛生環境
これだけは忘れられない。トイレは自分で流せない和式のためとにかく臭う。
そして、部屋に蜘蛛の巣があり、頭上から蜘蛛が降りてくる事が何度もあった。密室で、何の道具もないのに、蜘蛛が出てくる恐怖が今でも忘れられない。
持ち物
あ、もちろんですが、筆記用具や音楽プレーヤーなんてなんのその。近眼ですが、メガネも持ち込めませんでした。
他患
個人情報に繋がることは書けませんが、保護室というくらいなので叫んでる人がいました。あとは、看護師の対応の悪さのせいでドアを叩かざるを得ずそれが病状だと思われてしまってる人。何故かVIPな人もいました。保護室には必要時以外看護師は来室しないのに、カップ麺食べる?とかナースコール付ける?時計置くね。と言われてる方。
医師の診察
主治医がいる時は1日1回来てくれる。当直医が回ってくる時もあるが、会話はなく覗いていくだけ。
まとめ
前半の大学病院とは異なり、かなり劣悪だったこの病院の保護室。保護室から出ても辛いことはたくさんありますが、とにかく出られたことが嬉しかった。
今も入院していて、大体の病院の保護室は、私が後編に書いた保護室だと思うのですが(私は他の2つの病院の保護室も経験しています)、ここに綴ることで私の感情の整理と少しでも皆さんに現実を知って欲しいと思い2000字を超えるnoteを書かせて頂きました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆さんにとって明日が今日より良い日になりますように。

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