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自己紹介、その前に…

はじめまして、平谷天真音(ひらたに あまね)と申します。
初めてnoteに投稿します。

「生きているのがしんどい」って思うことはありませんか?

私は、自分のことを「好きになれないな」と思っている自分がいることを知っていて、けれどそれは「どうしようもないこと」として、ずっと無視し続けてきました。

いつの頃からか、どこがどうとはいえないけれど、自分の内側の歯車が合っていない、そんな違和感を覚えるようになりました。
もどかしいけれど、生活を揺るがすような問題ではありません。
私は軋んだ音をたてる自分を、なだめすかして生きることに慣れ、いつしか長い時間が過ぎました。

「生きているだけで、なぜか辛い」

それは嚙み合わない歯車が、とうとう動かなくなる前触れでした。
なぜ私は生きることに、これほどまでに疲れてしまうのか。
命があることの有難さ、人の優しさ、生まれながらに与えられたものに感謝しつつも、どうしても息苦しさが拭えないのです。

一体私の何がいけないのか?
自分を持て余し、投げ出したいと思うことすらあった私が、ようやくたどり着いた答えが「私が私を嫌っていること」でした。

24時間365日、私は私から逃れることはできません。
それなのに、私はいつも嫌いな人を見る目で、自分自身を見ていました。
失敗すれば、「ほら、やっぱり」うまくいけば「たまたまね」。
なんて意地の悪いモノの見方でしょう。
いつもいつもそんな視線にさらされて、幸せを感じられるはずもありません。
私を追い詰めていたのは、他ならぬ私自身でした。
他人に向けることは考えられないような悪意を、平気で自分に注いでいました。注ぎ続けることが、私に身に付いた癖だったのです。

“好きな私で生きる”には、2つの意味があります。
1つは、“ありのままの私で生きよう”ということ。
もう1つは、“大好きな私というモノの見方で生きよう”ということです。

人生の後半は、どんなときでも「私は私の味方だよ」と自分に笑顔を向けて生きていたいと思うのです。

そして辛いとばかり思っていた人生の前半も、“好きな私”の目で見返して、その意味を書き換えてみたいと思っています。

書き換えが上手くいくかどうか、見守っていただけたら幸いです。


noteの文章を、stand.fmで読んでいます。
よかったら、聴きに来てくださいね。





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