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苗字とアイデンティティ

実は私、今の苗字になったのは去年の秋頃である。

御涙頂戴したいのではなく、20歳で改姓をするのはそう頻繁に起こる事例とは言い難いため、当時20歳の私ならではの感性で苗字について語りたい。



今の苗字に変えるとなった時、大して抵抗というのはなかった。

父親とのいざこざがあったため、戸籍を移動し改姓した方が後々楽だから、という理由で改姓したのだが、自分のアクセサリーを変える位にしか思っていなかった。

大学で改姓届を出したり、メールアドレスを変えたり、何かとサイトにログインするときに苗字の部分だけを変更したりと面倒なことは沢山あったが、自分が死んだ後、どのお墓に入るかを考えたとき、母方の方に入りたいと思ったため辛抱した。


改姓するか否かという決断を迫られたときに、興味本位で姓名診断をしたのをよく覚えている。

前の苗字だと、『芸術的センスに優れるが、仕事は上手くいかない』というような内容であった。

今の苗字では、『芸術的センスは多少劣るが、仕事は大成功する』ということだった。

絵を描いたり、音楽を奏でたりすることが大好きだった私は当時、苗字が変わることで(自分で言うのも烏滸がましいが)センスが失われるのではないかと若干怖かった。

しかし、いざ苗字を変えても、そこまで大差ないように思う。多少劣ったような気はするが、歳を重ねたために感性と理性のバランスが上手く取れるようになったのだろう。

姓名診断にあった、『仕事で大成する』は、多少当たっているように思う。苗字を変えてから、家庭教師の案件数が安定したからだ。

これから何が起きるかは分からないが、人の名前に関することは進路を大きく変えるのかもしれない。

それだけ、名前というのは天からの授かりものなのだと想いを馳せた。

総じて、『中々変えることのできない唯一無二の名前の凄さ』というものを感じた。

前の苗字で成し得たこと、思い出、獲得した賞などを顧みると、環境がガラリと変わったことも相まって過去の自分というよりも、別人が経験したもののように感じて若干切なく感じる部分も多い。

慣れないことも多いが、第2の人生だと思って、我が道を生きていこうと思う。

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