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【#1】それでもわたしは、母を甘やかす

いま、わたしの目は潤んでいる。
ついさっきまで泣いていたからだ。


今日は母に会うため、おばと一緒に施設へ向かった。
特別養護老人ホームだ。

でもわたしは、母を老人だと思っていない。
だから複雑な気持ちである。


2022年の1月、母は脳出血で雪かき中に倒れた。
わたしはそのとき外出中で、電話でそのことを知った。

救急搬送された病院で、一気に老け込んだ母と対面した。
意識はあったが、左半身に麻痺が残ってしまい、のちに要介護4と認定される。

左半身が動かせず、離床も介助なしにできない。
さらに母本人がリハビリを極端に嫌がり、ますます左半身は固まっている。


2022年の4月ころから母は、リハビリを積極的に行う介護老人保健施設(以下、老健)にお世話になっていた。

老健での生活は、一人を好む母には酷だったようで面会のたびに「家に帰るから迎えにきて」と食い気味に言ってきた。

タブレットを使った遠隔面会だったが、毎回軽く言い争いになってしまった。
家に帰れるならそうしてあげたい……でも現実は無理だった。


特別養護老人ホームはすぐに入れない、という情報はおばから聞いていた。
ところが運よく、1年も待たずに入所が決まった。

わたしはほっとしていた。
母にとって終のすみかができたからだ。


今日の母は、穏やかだった。
面会は自動ドア越しに、施設のスマートフォンを使い会話をするというもの。

母はスマートフォンを使ったことがないので、よくわからずにすぐ持っている手を下ろしてしまう。
その後、職員にフォローしてもらいながらの会話。

母が大好きなパンが朝食に出てうれしいと、話してくれた。
よかった。

わたしはずっと目に涙を浮かべていた。
そもそも、リクライニングの車椅子に乗って出てきただけでもう、うれしかった。

わたしが選んで購入したクッションを、麻痺している左腕の下に敷き上手に車椅子に乗っていた。
前の施設では絶対にやらなかったことだ。

面会のために母が、がんばって車椅子に乗ってくれたと思うと感動して涙があふれた。


また、ヤクルトが飲みたいなど、要望も伝えてくれた。
これもうれしかった。

母は生きている。

わたしは気づかなかったが、おばが「お姉ちゃん泣かないで」と言った。
母も、泣いていたのだ。

それを見てわたしは涙を堪え、なるべく笑顔でいようと思った。

わたしには母の気持ちはわからない。

でも少し、母に変化があったように思う。
それがなんなのか、具体的には説明できないのだが、たしかに変わった。

母は生きている。
一生懸命に生きている。

そのことがよくわかり、わたしはうれしかった。


母が倒れてから、あっという間に1年が経ち、終のすみかも見つかった。
これからが、わたしと母のスタートだと思っている。

どれだけ母に感謝を伝えられるかわからない。
うまく伝わらないかもしれない。

それでも、わたしは笑顔で接したい。
母が泣いていたとしても、わたしは笑って話しかけたい。


わたしが小学6年生のとき、父は癌でこの世を去った。
それからずっと、母とわたしの2人暮らし。

わたしは、母のおかげで学歴を残せている。
本当に感謝しかない。

これからは、わたしが恩返しする番だ。
わたしたち母娘には、いくつもの物語がある。

嫌なこともたくさんあったけれど、それでもわたしは母を甘やかすだろう。


2023年3月10日(金)

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