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パフェの思い出から~そのままの自分を受け入れてほしかった~

パフェの思い出から~そのままの自分を受け入れてほしかった~

皆さん、こんにちは。

未来書き換え自分年表講座認定講師の

天音見雪(あまね みゆき)です。


突然ですが、皆さんはそのままの自分を

受け入れてほしいと思ったことはないでしょうか。


私自身は幼い頃からずっと

そのままの自分を

受け入れられていないと感じ

生きづらい思いを

してきました。


ですが、あることがきっかけで

そのままの自分を受け入れることが

出来、ラクになったんです。


これからお伝えするお話は

そのままの自分ではいけないと

思って生きづらい方のお役に

立てるかもしれません。


どうぞ、最後まで読んでみてくださいね。


私の生い立ちを話します。

私は4人弟妹の長女として生まれました。


父は躾に厳しく、うるさく騒ぐといつも

静かにしなさいと注意していたんですね。

また食事の時もテレビはNHKの

ニュースだけ、好き嫌いを言わないで

姿勢よくして食べる、とかのルールがありました。


そして、わがままを言ったり、

自分の意見を言うと即却下という感じだったんですよ。


父は背も高く大きくて、声も大きかったので、

私は叱られるのが恐怖でした。


私はいつの間にか、家では父の機嫌を伺い、

父に叱られないように、大人しくして

過ごそうとしているようになったんです。


また、教育に熱心で、少しでも

偏差値の高い学校へ行くことを

薦めていました。


私はあまり勉強が出来る方ではなく

偏差値の高い学校へも行けず、

父の期待に応えられていないという

気持ちを持ちながら成長したんですね。


こんなことがありました。

私が小学校に入学する前のことです。


父は私がまだ“指を吸うこと”を

していることを心配していました。

私の親指にはあまりに指を吸うので

“吸いタコ”が出来ていたんです。


今でも覚えていますが、

指を吸うと

心が落ち着くような

気がしていました。


小さい時はまだ良かったですが、

私が小学校に行っても

まだそんなことをしていると

おかしいと思われるから

心配になったみたいですね。


そして、もし、“指を吸うこと”

を辞めることができたら、

不二家のパフェを食べに

連れて行ってあげる、と父が言ったんです。


私はそのことを聞いた時

「行きたい!」と思いました。


「不二家」さんは憧れのお店。

その頃は今のようにコンビニなどで

手軽にスイーツを買えなかったので、

パフェは憧れの食べモノだったんですね。


私はすごく行ってみて食べたかったので、

「指を吸うのは、もう辞めた」と言いました。


実はまだ時々こっそり指を吸って

いたんですよ。

私は不二家へ行きたいあまり、ウソを

ついたのでした。


でも、父は私の言葉を信じてくれて本当に

不二家へ連れて行ってくれたのです!


父と二人でそんな風にお出かけしたのは

後にも先にもその時一回きりでした。


初めて見る不二家さんの店がキラキラしていたこと、

パフェを食べてとても美味しかったこと、

などが今でも記憶に残っています。

そして、父と二人でお出かけしたことに

嬉しさを感じていました。


パフェ(イメージ)


パフェを食べる(イメージ)


先程も書いた通り、父は厳しくていつも

叱られないかヒヤヒヤしていたのですが、

その時だけはそんなに怖くなくて、

楽しかったんですね。


そして、間もなく私は本当に

指を吸うのを辞めたと思います。


そんな「楽しい」思い出だったのですが・・・


私は後々、あれは私が指を吸わない「いい子」

だからパフェを食べに連れていってくれたんだ。


指を吸うままの私ではだめだった。


それがいつのまにか、

「条件付き」のご褒美だと思うようになったんですね。


そして、そのままの自分ではだめだ、

何かを常にがんばらないといけないと

いった気持ちになっていきました。


がんばらないと「不二家へパフェを食べに行く」

なんて非日常な楽しいことはおこらないんだ、


そして、その気持ちが特に強くなったのは

短大と大学生の頃だったんです。


私は大学へ行ってそこでも

勉強していたのにも

関わらず


もっと勉強しなくては、何かを

身につけなくては


という気持ちになっていて、

いつも焦っていました。


父に「何を勉強したらいいかな?」

と聞くと


「簿記とかいいんじゃない?」

と言われました。


私は「そっか」と思い

簿記の学校に通ったんですね。


しかし、私は自分の特性を

すっかり忘れていたのですが

私は理数系がとても苦手。

数字も苦手。


そんな私が簿記の勉強を

するのですから

通ってはいましたが

何も身につきませんでした。


そしてそれはますます

私を苦しめることとなるのです。


父の会社で経理の手が

足りないから手伝ってくれない?

と言われました。


それも私が簿記を勉強していたことを

知っていたからだと思います。


私はアルバイトとして

学校から帰ってきてから

夕方、会社の経理を手伝いました。


ところが、大の苦手な数字。

私は辛くて、合わなくて

申し訳なかったのですが、

結局、少しして

辞めさせてもらったんです。


そのことは自分が苦手なことを

無理にすると、自分も辛いし

周りにも迷惑をかけるという

教訓になりました。


それでも、私は

「何かにならないといけない」

「もっと学んで身につけないと

いけない」

と言った気持ちから


懲りずに

ワープロ(時代がわかりますね・・)

英検、秘書検定の

勉強などをしていました。


それと同時に10代終わりの頃から

私はしばしばウツ的な気持ちになり

摂食障害にもなってしまっていたんです。


そして、20代半ばには

ひきこもりにもなりました。


辛い紆余曲折の時間が3年ほどありましたが

家族や周りの人のお陰もあり、

私は引きこもりから

脱することができたんです。


そして、仕事にも就き、結婚して

子どもにも恵まれました。


夫も優しく、子どもたちも

可愛い。


けれど、今度は私は

仕事や家事、育児の

忙しい中に

イライラすることも多くなりました。


何か、今の自分ではいけない

もっと出来る自分に

ならないと、

という思いが常にあり、

生きづらさに繋がっていっていました。


私は今度こそ、ちゃんと

向き合おうと思い

本を読んだり

心理学の通信教育を

受けたり

カウンセリングを

受けたりしたんですね。


それらは一時は癒されたり、気付きも

あるのですが

私を根本から変えてくれるものでは

ありませんでした。


長い年月がたち、

子どもも巣立ち、

自分のことを考えられると

思った時に


私はずっとこのままで

いいのかと自問自答しました。


これはどうしたらいいんだろう、

ずっと生きづらいままなのかなと

思っていた時


私はとうとう

未来書き換え自分年表作成講座

というものに出会ったのです。


この講座は、自分のことを深く振り返り、

自分の何が不安にさせているのか、

どうして今の気持ちや思考のクセを

持つようになったのか、それを明るみにし、

自分が本当に望むことを再確認し、その思考の

クセを書き換えることで心を癒し、

安心して前に進めるようになるというもの。


ただ、受ける時は、本当にこの講座を受けて

自分の気持ちがラクになるのか、

自分の本当の気持ちがわかるのか、

前に進めるのか半信半疑の思いで受けるかどうか悩みました。


でも、この思いをどうにかラクにしたい、

気付きを得たいと思い、勇気を出して受けることに。



すると一週間もしないうちに大きな心の変化が起きました。

その講座では幼少期から印象的に残っている出来事や

どう感じたかということを書いていきます。



私は冒頭で書いたパフェを食べに

連れていってもらったことも

書きました。



そして、同時にこんなことを思い出しました

今からもう10年ほど前かと

思いますが


その頃も私はずっと

生きづらさに悩んでいました。

そして、薄々、それが親子関係から

くることも感じていました。


ある時、父に会った時、勇気を出して

「私って、怒られるほど

小さい時、悪い子やったん?」

と聞いたことがあったんです。


すると父は

「え?そんなことないよ

見雪(私)は大人しい子だったよ

何も困らせたこともなくいい子だったよ」


そして

「そんなに怒ってた?

それは自分も親父から

厳しく接しられて

父親ってそういうもんだと

思ってたんかもな」


と言ったのです。


私はビックリしました。


てっきり自分が悪いことを

したので、怒っていた、

そう思い込んでいたからです。



その時、一つ謎がとけたような

しこりがなくなったような

気持ちがして気分がスッキリしました。


でもそれをもっと深くとらえるには

講座を受けるまで長い時間が

必要でした。


今回、この講座を受けて、

父は自分の「リミッテイングビリーフ」

に沿って子育てをしていたことがわかりました。


「リミッティングビリーフ」とは、

0歳から12歳までに親(や保護者)との関わりを通じて

作られる価値観や概念を示します。


父自分も親から受けた教え、

「子どもは厳しく、躾けないといけない」

それが子どもを育てるということだし、

子どものためになる。


それが子どもを育てる時に

無意識に頭にあったのでしょう。


食事の時のマナーも

私たちが大きくなって

人前に出た時に

困らないためだった。


大きい声を出したり、

騒いだりして怒られたのは

仕事で疲れていたのかもしれません。


また、何かを子どもが言って、

それを受け止める余裕がなかったのかも。


それを思うと

父もリミッテイングビリーフを持った一人の

人間だったんだ、と気が付きました。


親も子も別の人間。

それぞれの背景も違う。

そこに行き違い、掛け違いがあった。


また父は教育熱心で

勉強などに関しては

いつも応援してくれていました。


私が短大から大学へ編入したいと

行った時もすぐに賛成してくれて

学費も出してくれたし、


イギリスへホームステイへ行きたいと

行ったときも応援してくれました。


簿記では少し失敗しましたが

それでも無駄ではなかったと思うし

ワープロも英会話も

秘書検定も色々学んだことは

知識として生きています。


何かになろうとがんばってきたことは

「工夫する」「努力する」

「勉強好き」という自分の強みに

なっていることにも

気付いたのです。

それは父の向学心を促す教育の

お陰だと思い、感謝の気持ちが

湧いてきました。


父は父で精いっぱい、良かれと思って

子どもを育ててくれていたのです。



パフェを食べに連れて行ってくれたのも

「ご褒美」という意味もあったかも

しれませんが、ただ、私を

連れて行って喜ばせてやりたい、

という気持ちもあったはず。


私はそのままの私で良かった、

そのままで大事にしてもらっていたのです。


そう思うと、私は心からほっと

安心しました。



もう何者にもならなくていい、

このままの自分で

そして、今まで通り

楽しく学んで成長して

いったらいいということが

わかったんです。


そしてこのような、私に大きな気付きと前向きに

進む力をくれた講座を同じように悩む方にも伝えたくなりました。



それから今、現実に

未来書き換え自分年表作成講座認定講師となり、

活動しています。

こんな風に自分の経験を人に伝えたりもできるようになりました。


もしも以前の私のようにそのままの自分を

受け入れてほしいと思い辛い思いをされている方が

いらっしゃったら、未来書き換え自分年表作成講座で

幼少期を振り返り、棚卸をすることで、

私のように気持ちを癒し、気付きを得ることができるかもしれません。


現在、『未来書き換え自分年表作成講座』の

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