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スピリチュアルという言葉の大弊害

私が普段から「この人の考えや生き方とっても素敵だなぁ✨」と感じている人は結構います。

そんな彼らがスピリチュアルという言葉を否定した発信をしたりしているのを見るたび、
「いやいや、むしろアナタの思考、アナタの生き方が正にスピリチュアルやん!宇宙の本質を素敵に体現してるやん!ブラボーなんですけどー!」と、ひとりツッコミを入れたりしてるワタシ(笑)

世間一般的に認識されている言葉が、本来の意味からは逸れた使われ方で定着している事って往々にしてありますよね。

例えば「セレブ」とかね。
あれ、本来は大金持ちって意味じゃなく、有名人って意味なのに、ハワイの別荘から帰国して空港からポルシェ乗って2000万の時計買いに来た知らんおっちゃんをセレブだね〜☆なんて普通に言ったりするでしょ?

スピリチュアルという言葉も、正にそれと同じ。
本来は…というか私の解釈は、宇宙の摂理…大いなる流れを理解し、日常のあらゆる事象をその宇宙法則に照らし、学び、自分の生き方に落とし込んでいく事。
そんな感じで思っています。
起きている表面的な印象に惑わされる事なく、本質的には何が起きているのか、その意味を見抜けるチカラ。またそのチカラが本来の自分達には皆誰しもが備わっているという事を思い出していく学びそのものだとも思うのです。

しかし実際には、ただただ見えない現象や存在を信じている事だったり、それらの存在にすがり依存し、目の前にある現実の有様から都合よく逃避している事を指す言葉としての意味あいのが強い気がします。

確かにこの世界は目には見える事と見えない事の両方で成り立っているので、目に見えない事を全否定しているというスタンスはむしろ自分の認識を狭めるもったいない現実逃避だと私は思ってます。

が、しかし、その一方で、神社仏閣で依存的なお願い事をしてみたり、天使やマスターにすがってみたり、前世や出身星にこだわり過ぎてみたり、占いに一喜一憂してみたり、お守りグッズだらけになってたり、予言に振り回されて、2025年の7月にどこに逃げるか必死になってみたりとか(笑)

先日は、恐ろしく自己チューな解釈でロックオンした相手をツインソウル認定して、ドロドロの重い念を飛ばしていた記事を目にしました。もう波動的にはただのストーカー(泣)

こういった発信を目にしてしまうと、そりゃあスピリチュアルが現実逃避という言葉と同義で解釈されてしまう風潮はある意味しかたのない事なのだなと感じました。

そんな訳で色々と迷走スピリチュアルが蔓延っているのは確か。

私は私の捉えている意味でスピリチュアルという言葉を使ってきたし、相手が私の話や文章全体を読めば、届くべき人にはちゃんとその本意、波動はしっかり届くと思っていたので、今まではこの言葉の使用をさほど気に留めていなかったけど、、、

言葉は伝達する為の共通認識の道具であり、変化する生き物でもある。
それならば相手がどんな意味合いで使っているのかを汲み取りつつ、自分が使う時には相手によっては本来の意味合いが伝わりにくいリスクがある単語のひとつだという事は覚えておこうと思います✨🫡

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