騙せ林檎パン【毎週ショートショートnote】

「駅前のベーカリーのパン、買ってきたよ。確か、美味しくて好きだって言ってたよね」

そう言って彼は、林檎のデニッシュを取り出した。

「わあ、覚えててくれたんだね。ありがとう」

確かに私はあそこのパンが好きだと話していた。
ただ、加熱した林檎の甘ったるさは好きではなかった。
だけど、付き合い始めたばかりの二人の間に波風を立てたくなかった私は、「別のがよかった」とは言えなかった。

「良かった、喜んでくれて」

嬉しそうな彼の様子に、これでいいんだと私は甘い林檎をかじった。

しかし、その嘘は、次第に重みを増していく。
喧嘩をすると、彼はいつだって先に謝ってくれた。……あの林檎のデニッシュを携えて。
私は「こちらこそ、ごめんね」と返す。モヤモヤした気持ちを抱えたまま。打ち明けられないまま積もっていく些細なズレは、いつしか、決壊した。

私は独りぼっちになった。
あの日、甘ったるい林檎を一口かじったために。
「嘘」という禁断の果実の味を知ったために。

※以前書き逃していた裏お題「失楽園ぼっち」をフィーチャーしました。


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