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銀杏BOYZのTシャツを着ている女はモテない

去年、とあるバーで偶然隣に座ったお姉さんは、年齢も近く音楽好きで、学生時代に音楽サークルに所属していたことから話が盛り上がった。
話している最中、お姉さんは私に向かって笑いながら「銀杏BOYZのTシャツを着ている女はモテないよ」と言ってハイボールを飲んだ。

私は銀杏BOYZのTシャツをワンピースの様に着ていた。暗い店内ではそこまで目立つデザインでもなかったと思っていたが、お姉さんにはバンドのTシャツだと気付かれていた。
ドキリ、としてお姉さんに「バンT(バンドのTシャツ)でも良いじゃないですか〜」と返答したが、お姉さんは「私も着ていたからわかるけど、モテないよ」と繰り返した。

確かに私は二十代の殆ど恋人も作らず過ぎているし、個性的と言われて育った性格は歪んでしまい、美人でも無ければスタイルも良くないのでモテる要素はほぼ無いのだけれども、些か暴論にも感じながらお姉さんと会話を続けた。

話を聞いていると、なんとなく納得出来た気がした。
勿論、音楽が好きでファンとしてファッションとして着ている人もいる。しかし、全員とは言わないが、銀杏BOYZのTシャツを着ている女は自己認識と承認欲求の乖離が目立つのではないか。

私を含めて。

銀杏BOYZは青春パンクバンドだ。
青春時代のやり場のない感情や昂りを歌っている。最近は優しい愛の歌が多い気もするが、それは大人に近付いたからだろう。
最近の銀杏BOYZを聴いていても、ライブに行っても盛り上がるのはあの頃の曲だし、久しぶりにあの曲聴けて良かったなんて思ったりもする。
銀杏BOYZのTシャツを着ている女たちは未だにあの頃を、理想とした青春を謳歌出来なかった暗黒時代を引き摺って過ごしている。本当はこんなはずじゃなかったとか、私はもっとできるはずだとか、憧れや苛立ちを曲に投影して「私のことを歌っている曲だ」なんて勘違いして、めちゃくちゃに歌う峯田和伸に憧れたり、彼が歌う天使のような女の子になりたい、なるはすだと願っている。
何者にもなれないし、なれないことに気付いているけれど認めきれないし、誰かが私の価値を見出してくれる可能性を信じている。

駆け抜けて性春を歌うYUKIになるはずだった女の子達の残骸だ。

こんな風になりたかったけれどなれなかった自分と、周りから認めて欲しい自分の差が大きい。やり場のない気持ちだけが膨らんで大人になった。自己認識と、承認欲求の強さを認められずに子供のままの心と大人の身体を持ったチグハグな存在。大人の女になっても、心が未発達なら、それはモテるわけないよな、と納得した。

銀杏BOYZのTシャツを着る女はモテないと言ったお姉さんも、自分の中の葛藤とかがあったのかもしれない。だから、そんなことを言ったのかもしれない。
私が銀杏BOYZが好きな気持ちは違わないと思っている。
YUKIになれなくても、長澤まさみや麻生久美子になれなくても、それを認めなくてはならない。
私は、自己認識と承認欲求の乖離が目立たなくなるまで銀杏BOYZのTシャツを着続けるのだろう。
そこからは、純粋に音楽ファンとしてTシャツを着続けるだろう。
またバーでお姉さんにあったときに、私は銀杏BOYZのTシャツを着ているだろう。

#日記 #コラム #音楽 #銀杏BOYZ #cakesコンテスト

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