人の名前が覚えられない。
僕は、人の名前が覚えられない。
これが原因でかなり苦労していると思う。塾で英語を教えていても、こっそり座席表を見ながら生徒を指名している。彼らもまさか名前を覚えていないとは思っていないだろう。
「誰だっけ。ほら、あのひと。この前言ってた…」みたいに、会話が途切れてしまうことも日常茶飯事だ。だから最近は、話す前に名前を覚えているかを確認している。でも、名前を思い出しているうちに話題が変わっていることもあって、そんな時は終電に乗り遅れたような残念な気持ちになる。
僕は、人の名前が覚えられない。いや、正確には、人の名前を覚えることはできても、思い出すことができない。そんな言い訳を言ってみる。
この話を誰かにすると、「僕も人の名前と顔を覚えるのが苦手で…」と言われることがある。でも、よくよく話を聞いてみると、彼らの物忘れと僕のとでは性質の違うものだと分かる。
僕の「人の名前が覚えられない」は、冗談を言い合える間柄の人でさえ、名前が出てこなくなるからだ。
たとえば、昔こんなことがあった。僕が高校1年生の頃である。僕は中高一貫の学校に通っていて、校内では4年生と呼ばれる学年だった。
ある日の英語の授業で、悲劇が起こった。先生が「隣の人とペアになって英会話の練習をしましょう」と言ったのだ。
プリントに記載された対話文には、ペアーの人の名前を言い合うシーンがあった。僕は隣の人の名前が分からなかった。
でも、名前を言わないといけない。休み時間に何度か話したことがあったので、「名前は何ですか?」なんて今さら訊けない。
僕は、だんだん冷や汗をかいてきた。僕は頭を高速回転させて、「あ」から順番に思いつく苗字を出していく。
明智光秀、足利尊氏、アレクサンドロス大王…
こんな時に限って、社会科でならった歴史上の偉人の名前ばかりが浮かんでくる。そして、さらなる悲劇が起ころうとしていた。
なんと、 僕は先生に指名されてしまったのだ。みんなが練習する前のお手本に選ばれた。本来は光栄なことだけれど、今日は勘弁してほしいと思った。
けっきょく僕は英語ができないフリをした。発表する英会話は教科書に出てきそうな基本的な対話だった。それなのに、一言も発することがないまま、時間だけが過ぎていった。
英語ができないふりをしたせいで、先生からは大きな信頼を失ったが、なんとか最悪の事態からは避けられたと思う。
授業が終わった後、「じつは名前覚えてないでしょ?」と言われた。僕は反射的に「いや覚えてるよ。〇〇さんでしょ」と返す。
不思議なのだが、奇跡的に名前を思い出すことができた。これが人間に秘められた潜在能力とやらなのか。火事場の馬鹿力というものなのか。ちょっと違うか。
最近、村田沙耶香さんの『となりの脳世界』というエッセイを読んでいると、人の名前が覚えられない話がでてきて、びっくりした。
この文章を読んだ瞬間、自分と同じだと思った。まさか仲間がいるなんて。これが読み終わったら、村田さんの他のエッセイも読んでみようと思った。
そういや、芥川賞にも選ばれた『コンビニ人間』は、まだ読んでいなかった。僕はそのことを思い出して、すぐに近所の本屋へ足を運んだ。
2022.7.13
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