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幸せになるために、「不幸」から離れること。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新52日目※

最近めちゃくちゃ思うことがある。それは、「こんなにストレスフリーの超まったりした生活送ってていいのかな?」ってこと。

もともとわたしは、忙しいほうが好き!って人間だった。バイトだって掛け持ちして毎月結構稼いでたし、暇=罪悪感、みたいな考えでもあった。

それなのにいまは、とにかくもうのんびりしたい。好きなことをしたい。疲れることはしたくない。まったり平穏に暮らしたい。そんな欲にまみれてる。野心や飢餓心なんてものはまったくない。どっかに忘れてきた。日本かな?

とくにここ最近は、すごくそう思う。先々週、結婚式のために両親がドイツに来てくれていた。1週間遊び倒し。それでもフリーランス、なおかつ仕事を前倒してたから問題なし。彼との仲も良好、一緒に住んでもう5年とは思えないくらいちゃーんと仲良し。ご近所さんとはたまに井戸端会議。地域クラブでスポーツ。あれ、老後かな??

両親が来ていたあいだはいろんなところに出かけたから、実質ネット断ち状態だった。それもよかった。その前は毎日5回くらい予約ツイートをしていて、ちょっとしたときにツイッターが気になっちゃってて。あと、1週間に1度くらいは更新していたブログも、ばっちり放置中。いまは毎日このエッセイを書いているし、書きたいことは寄稿記事にしてお金をいただくので、「自分の愚痴置き場」だったブログの役目はもう終えているのかもしれない。ちょっとさみしいけど。

でも、ツイッターを見なくなって、ブログを書かなきゃ!というプレッシャーからも解放されて、いまは本当に自由。超ストレスフリー。モンハンやり放題(もちろん仕事してからね)。

そうすると、逆に怖くなってくる。「こんなに楽をしていていいのか?」と。

もっとがんばらないといけないんじゃないか? 自分は人生を無駄にしてるんじゃないか? 上昇志向を失って平気なのか? そうやって、心の中に不安が湧き上がってくる。

そのたびに、彼は言ってくれる。「ストレスがないのが一番じゃん!」って。「別にわざわざ苦労する必要ないでしょ」「のんびりした生活のなにが悪いの?」「楽しければそれでいいのに」。すごくシンプルな答えだ。

でもそうだよね、わざわざ苦労する必要はない。充実した平穏な生活。それに罪悪感をもってしまうのは、なんだかおかしい。自分は幸せで満足してるなら、それでいい。

そのために必要なのは、「不幸の元」から離れること。自分を追い詰める人やツールから距離を置く。自分が嫌な気持ちになる環境を変える。自分が楽しくないことはやらない。

そうやって「不幸の元」の断捨離を続けた結果が、充実した平穏な生活。不幸の元がなければ不幸は生まれない。

ある程度の我慢や理不尽はそりゃどこにでもあるけど、不幸をうみそうなところからは距離をとる。それが一番、平穏だ。

じゃあ、またあしたね。

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