楽しいと苦しいは、いつもとなりあわせ。
※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新79日目※
ゲームをやるようになって、最近はほとんど毎日だれかとしゃべりながらゲームをやってる。たいていはネットで知り合った人で、年齢や性別、住んでいるところもバラバラの人たちと、偶然であって、楽しくゲームする。
ドイツに来てから、こんなに毎日日本語を話すことなんてなかったから、なんだかちょっと変な感じ。日本にいるだれかとゲームやってるんだぁ……みたいな。
ゲームっていうと、なんだかこう、マナー違反な人が多いんじゃないかな? 文句言われたりするんじゃないかな?と思ってたけど、そういうのは基本的にない。びっくりするくらいみんなちゃんとしてる人。
でもやっぱり人と関わる以上、ちょっと嫌な気持ちになったり、しがらみが生まれたり、そういうのはまぁ、あるよね。多少はね。
そこで、ある程度は我慢したり、空気を読んだり、話し合ったり、そういう「苦しい時間」がうまれる。面倒くさいし、気が重いし、できればやりたくないやつ。とはいえ、これは人と関わる以上、しかたのないこと。
人と関わらなければ、そういう面倒なことは起こらない。ひとりでゲームをやって、静かに、家でなにかをやっているかぎり、わたしを煩わせてくる人はいない。すごく快適で穏やか。
でもそのぶん、だれかと一緒に大笑いしたり、話を聞いてもらって楽になったり、思い出を共有して心が満たされたり、そういう「楽しい時間」もやってこないんだよなぁ。
自分のなかでの充実感はあっても、それはいつも「あくまでひとり」。だれかと一緒に、なにかを共有する楽しさは、ひとりじゃ得られない。
人と関わると苦しいこともあるけど、楽しいこともある。人と関わらなければ苦しくはないかもしれないけど、きっと楽しくもない。
たぶんこれって、なんにでも言えることだよね。なにもしなければ、しんどくはないけど、充実もしない。なにかをすれば、充実するけど、しんどい気持ちにもなる。おいしいとこどりっていうのはむずかしくて、なにかを得るためにはやっぱりなにかしらの代償が必要なんだろうな。
苦しいこと、面倒なこと、しんどいこと。それからすべて逃げてしまえば、楽しいこと、満たされること、あたたかいことからも、距離を取ることになってしまう。それはそれでさみしい。
なんでも「もう嫌だ」と切ってしまわないで、ちゃんとそれを受け入れて、楽しい気持ちでやっていきたいな。
じゃあ、またあしたね。
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