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あのときは、すみませんでした。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新55日目※

反省してることがある。いや、いろいろあるけど、反省してるうえで謝りたいというか、心残りがあるというか……。

ずいぶん前の話。もう1年、もしくは2年経ってるかもしれない。わたしはツイッターで、とある記事を拡散した。内容は、「専業主婦になってほしいなんて願望は時代遅れ」といったツイートだったと思う。

それに対し、「個人の希望を時代遅れというのはいかがなものか」という批判をされた。そのとき、「所得や社会の変化を考えても、よっぽどの条件が揃っていなければ専業主婦はむずかしい。その考えはもう通用しない」といったことを返したと思う。はっきりとは覚えてないけど。

わたしの意見がまちがっていた、とは思わない。でも、この批判も、いまになって「たしかにそうだな」とは思う。

専業主婦がどうこう、ではなく、「奧さんには専業主婦になってほしい」と思うのは個人の自由だ。それを、赤の他人のわたしが「時代遅れ」なんていうのはお節介以外の何ものでもなくて、この批判はもっとも。

でもそのときは、「この人は古い考えなんだな」って決めつけてしまって。だから上からの物言いだったかもしれない。完全にわたしが悪かった。

残念ながらかなり前の話だから、その人には謝れていない。履歴を遡ろうにも、もう消えている可能性のほうが高いレベルの昔話。それでもふっと思い出して、反省したんだ。「あのときのわたしの返事はまちがっていたな」と。

なんで覚えていたんだろう。もしかしたら心のどこかで、相手の言い分が正しいことを理解していたのかもしれないね。

じゃあ、なんで相手の言い分が正しいと思っておきながら、反論したんだろう。それはかんたんで、批判されてイラっとしたから。

なんやかんや、否定されるより賛成されるほうがいいんだよ、だれだって。批判を受け入れるには心の余裕や冷静さなんかが必要でさ。わたしにはそれがなかった。相手の主張をちゃんと受け入れようとせず、否定されたから否定する!と脊髄反射した。

そのとき「たしかに言葉が悪かったですね。ご指摘ありがとうございます」っていえてたらちがったんだろうなぁ。なにがちがうのかはわからないけど、とりあえず、なにかはちがっていたはず。

当時は「どんどん発信していこう!」って前のめりだったから、気持ちがささくれだってたのかな。相手からしたらいい迷惑だ。本当にごめんなさい。

理不尽なコメントや意味不明なつっかかりは、無視するか反論するけど、耳の痛い指摘はちゃんと受け入れないと、だれもわたしのまちがいを指摘してくれなくなっちゃう。裸の王様にならないように、気をつけないとね。謙虚さを忘れた人間は、なにをやってもダメだから。

じゃあ、またあしたね。

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