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「詰めが甘い」を、なおせない。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新46日目※

詰めの甘さに定評がある雨宮です、おはようございます。

今日はイースター休暇。彼が(また)風邪を引いて昨日は仕事を休んでいたので、徒歩圏内のスーパーに行き、休暇中に飢えることがないようにえっちらおっちら食料品を買い込んだ。ドイツでは祝日、スーパーが閉まるからだ。

1キロのタマネギに、2.5キロのジャガイモ。パスタに白米。牛乳に洗剤。重い。めちゃくちゃ重い。それでもやるのだ、平穏な休暇のために……!

そして今日、朝7時前に起きて、のそのそとトイレへ向かう。用を足してさぁ今日もがんばるぞ、と手を伸ばした瞬間、気がついた。

トイレットペーパーが、ない。

え、うそまじで。昨日あんだけ注意深く必要なもの買い込んだのに? まじでないの? ちょっとも? 嘘やんつらっ。

ハンドソープやタワシなんか買ってる場合じゃなかった。トイレットペーパー買っとけよ、自分。

これくらいなら「だれにでもあるうっかり」だけど、わたしの場合、とにかく「詰めが甘い」。本当に、これはいつも、いつでもそう。

大事な場面になって、たいていどこかでずっこける。何十回も読み直して誤字確認したのに、最後の最後でちょっと修正した部分で誤字をする。大学生時代、あまりに見返しすぎておかしくなっていたのか、「そのためわたしは御社でgふskgjしたい」のような意味不明すぎる誤字をして、しかも気づかずエントリーした。モンハンにおいては、「あと一発大技決めたら勝てるでぇええええええ!!」と気合を入れた瞬間に死ぬ。ピアノの発表会では最後の「ジャーン」という和音をミスる。

わたしはとにかく、詰めが甘いのだ。

「油断」というほど自覚的に意識を緩めるんじゃない。ただ「もういいや」「もう大丈夫」というラインが人よりちょっと早くて、そのラインの先で失敗する。……これが「油断」か。そうか、油断だな。

もちろん、これはダメなことだ。少なくともいいことではない。改善すべきだ。

でも、なかなかなおらない。

こういう甘さは、意識してなおせるものではないと思う。だって意識の外でミスをするんだから。「最後まで気を張って」いたとしても、どこかでポカをしてしまう。それが詰めの甘い人間というものだ。だから将棋もクッソ弱い。自分の身に危機が迫っていることに気づけないから。

しかたない、これが自分なんだから。

もちろん気をつけるけど、気をつけてもミスを減らせないのが「詰めの甘い人間」なのだ。そこで改善できるなら、そもそも「うっかりしがちなだけのちゃんとした人間」である。

だったらどうするか? 他人に甘えるしかない。しょうがない、自分でやるとミスるんだから。

だれかと一緒に確認する。買い物はメモをもつ。「気を抜いちゃダメだぞ」と叱ってもらう。そうやって他人に自分の穴を埋めてもらうことで、たぶん、ずいぶんましになると思う。

そしてこれは、どんな短所でもいっしょだ。怒りっぽい、情緒不安定、さみしがり、忘れっぽい、遅刻しがち、散財癖。どれもきっと、となりの人が支えてくれたら、ずいぶんましになる。

欠点をなおせるならなおしたほうがいいけど、それが無理なら補ってもらえばいい。そして自分も、だれかの欠けている部分を、そっと埋めてあげればいいのだ。

じゃあ、またあしたね。

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