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居場所を見つけたら、優しくなれた。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新109日目※

最近、心がやたらと穏やかだ。いや、生きていくうえで多少心にさざなみが生まれたりはするけど、昔ほどそれで消耗しないというか、「まぁしゃーない」と思えるようになった。

歳をとると丸くなるって、こんな感じなのかなー? まぁまだ20代だけどね。

前はもっと、「激情」ってものがあったんだよな。まちがってると思えば大声で糾弾して、「なんでわかんねーんだよバーカ」くらいに思ってた。正義感といえばそうだし、うぬぼれと言われても否定できない。

こうじゃない、もっとこうすべきだ。なにに対してもそういう思いがあって、だからこそ自分の意見を押し付けるような文章も書けた。

でも最近はそういうのにちょっと疲れちゃった。書くのも読むのも。

だって、世の中にはいろんな人がいるわけでさ。自分が正しい前提で話すなんて傲慢もいいところだし、強くいったところで通じない人には通じないからね。向こうには向こうの正義があるわけで、互いに正しいと信じるものを正面からぶつけ合ってもどうにもならんよ。両方引かないもの。

だからただ、こうなったらいいな、多くの人が幸せになれるだろうなって、ぼんやり祈ることにしてる。

こういう心境の変化は、わたしがちゃんと居場所を見つけられたからなんだと思う。

心がささくれ立ってたときは、いろいろうまくいかなくて、すべてを疑ってた。自分に自信がなかったから、自分すら信じられなくて。いま思えば、「心の中が常に嵐になる」というバセドウ病の影響もおおいにあったんだろうけどね。病気してたあいだ、「自分が自分じゃなくなる」って思うほどいつもイライラしてたから。

でもいまは、そういうのがあんまりない。生活環境が向上したこと、彼もわたしも仕事がある程度落ちついていること、体調がよくなったこと、理由はよくわからないけど、とりあえず落ちついてる。

いまわたしには明確に居場所があるし、そこにいれば傷つかないって知ってる帰る場所がある。

だからもう、あんなにキリキリカリカリしなくて済む。

人って、居場所を見つけたら、心に余裕がもてるものなんだな。そこに帰ればどうにかなるって思うだけで、心が穏やかになる。

とまぁわたしはいまこんな感じなので、自分の変化と、その変化によって文章にどんな変化が現れるのかなぁなんてワクワクしてる。

じゃあ、またあしたね。

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