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名探偵コナンは、20年前だから成り立った。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新48日目※

わたしはアニメのコナンがめちゃくちゃ好きで、小さい頃は毎週リアルタイムで見ていたいし、TSUTAYAで古いビデオを借りて見る、映画館に通う、くらいはしていた。それはいまでも変わらず、一時帰国の際は『から紅の恋文』も見に行った。

だから決してコナンアンチというわけじゃないけど、最近ずっと思っていることがある。

それは、『名探偵コナン』は20年前だから成り立っていたのだ、と。

高校生探偵・工藤新一が怪しげな男たちの取引を見ていたところ、背後から男が近寄り意識を失う。目が覚めたら体が縮んでしまっていた。見た目は子ども、頭脳は大人。江戸川コナンになった新一は、おさななじみの毛利蘭の父親がやっている探偵事務所に転がり込み、さまざまな事件を解決していく。

という筋書きなんだけど、大事なのは新一と蘭の関係性。

新一がコナンであることは内緒だから、蘭は「幼馴染が急に姿を消した」と思ってる。それでもきっと生きていると信じて、新一の家の掃除をしたりするわけだ。すっごい健気。

で、新一の姿に戻る薬を手に入れたコナンは、蘭のピンチ(主に映画)で元に戻り、間一髪のところで助けに向かう。でもその回数はほんとうにわずか。

ふだん会えない新一が、蘭を助ける。その姿がもう、かっこいいのなんのって。そして新一に会えた喜びで「バカ!」と言って涙を流す蘭がかわいいのなんのって。

新一が姿を消してからも、ふたり(蘭から新一も含め)の気持ちは変わらない。それが再会シーンをよりドラマチックにする。『迷宮の十字路』や『瞳の中の暗殺者』とか、100回は見たね。あとサントラも最高。とくに映画版はいいね。

でも最近思う。「これって20年前だからよかったんだな」と。

いまは蘭もスマホをもち、新一(コナンがもってるスマホ)にいつでも連絡できる。前は言いたいことがたくさんあっても、再会できているわずかな時間を惜しんでいろいろ飲み込んでいたのに。いまじゃ「事件が起きたの!助けて!」とチャット。

いやまぁ、時代だよね、うん。そりゃそうなるよ。このご時世、蘭も新一もスマホもってない設定だったら、それこそ無理があるわ。

でもそうなると、「姿を消した幼馴染の帰りを待つ健気な蘭」「小さな姿になりもどかしい新一」という図式はほとんど消えてしまって、「ただの遠距離中カップル」になってる。それ、わたしも数年前にやってたわって感じ。

そうなるとなんかこう、『名探偵コナン』において大事だったもどかしさとか、ままならなさとか、すれ違いとか、そういうのが感じられないんだよなぁ。

いや、コナンアンチってわけじゃなくてね。時代の流れに対する適応と、それによる作品の変化は当然起こるわけで。長くやってるならなおさら。でもそれがちょっと残念だなって。

いまの子たちは、爆弾解体で究極の選択を迫られた蘭と、壁越しに変声機で新一の声で話すコナンのシーンを見ても、それがどれだけ蘭を安心させるのかがわからないんじゃないかな、なんて思う。

それでもコナンはおもしろいわけだけど、ただの「遠距離カップル」になったふたりを見て、「そういうのじゃない〜〜〜!!」なんて思ったりもしてね。

ま、それでもやっぱりコナンは好きなんだけど。蜘蛛屋敷、人魚、青の古城エピがとくに好き。

じゃあ、またあしたね。

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