「日頃の行いが悪いから」とは、考えない。
※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新45日目※
そういえば、土曜日の結婚式では、雪が降った。前日まで降水確率90%で、「ええええええええ」って感じだったんだけど、朝起きてみれば「なるほど」と思うほどの分厚い雲。でもそこから降ってきたのは、雨じゃなくて雪。
いや、4月に入ってからも寒い日はあったけど、さすがに雪はなかった。それなのになぜ今日にかぎって雪?気温は2度とか3度とか、その程度。寒すぎるんですが。震えて歯がガタガタいったよ。
こういう、自分じゃどうにもならない悪いことが起こると、日本人は「日頃の行いが悪いから」と言いがちだ。宗教的なものなのかな? あとで調べてみよう。
とにもかくにも、なぜだか自分のせいだと思いたがる。そして反省しろと促される。
なにいってんだ? んじゃあわたしの日頃の行いが悪かったからって理由で、わたしのまわりの人や、同じ雲の下にいる人たち全員が巻き添い食ったとでもいうのか? どんだけ影響力ある前提なんだよ、わたしは神か?
だからずっと、この言葉が嫌いだった。だってわたし、日頃、悪いことしてないもの。
そりゃあ、胸を張って言えることだけやってきた、とは言えないけどさ。ちょっとした嘘やちょっとしたズルやちょっとした怠惰があったのは認めるよ。でもそれくらい許容範囲でしょう、いちいち反省してたらストイックを通り越してつまらない人生になっちゃうよ。
そういう「人並み」の情けないところはあるけど、それでも日頃、悪いことはいっさいしていないと思ってる。悪気なく傷つけてたらごめん、そしたらちゃんと謝るよ。
だから、なにか起こったとき、しかもそれが自分のちからじゃどうしようもないことなのに、「日頃の行いが」って言われるとイラっとするんだよね。
そういえば上橋菜穂子さんの『獣の奏者』の外伝でもそういったセリフがあったな。主人公のエリンが身重になって、かなり危ない状態になったとき。いままでのことを考えて、自分の罪が子どもにいったのかもしれない、とエリンは言う。でも多くの動物に触れてきたエリンは、牛の子どもでも、生まれてすぐに死んでしまうものもいて、そんな小さな牛が罪を背負っているとは思えない。なにか別の因果があるんだろう、みたいに続けるんだ。ちゃんと覚えてないけど。
悪いことをしたらそれに対して反省すべきで、バチが当たったから「やっぱりダメなんだなぁ」と思うのは、叱られてはじめて反省する子どもだよ。そういう考えがあると、自然災害や病気のようなどうしようもないことでも、「自分が悪かったんじゃ」と思い始めるから、まぁ一種の呪いの言葉だよね(予防できる病気はあるけども)。
あ、ちなみに結婚式に関して「日頃の行いが〜」って言われたわけじゃないよ。むしろ「雨が降らなくてよかった」って感じだったし。
ただ自分のなかで、「日頃の行いが悪かったからかな」って一瞬頭をよぎったから、「そんなバカなことあるか、自分の行いのせいで天候が変わるわけねぇだろ科学に謝れ」って思っただけ。
じゃあ、またあしたね。
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