平成生まれは、平成のことなんて全然わかっちゃいない。
※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新57日目※
朝起きて、twitterを見て驚いた。そうか、今日は平成最後の日なんだ。とはいってもドイツにいるから、世間がどう盛り上がってるのかとか、GW10連休はどんな感じなのかとか、そういう空気感というものはわからない。それでも、ちょっとそわそわしつつ一部の人は寂寥感にひたっているんじゃないかと思う。
わたしは、平成3年生まれ。SMAPがデビューした年に産声をあげた27歳。「平成が終わる」まさにそのとき、「平成生まれ」としてなにか思うところがあるんじゃないか……なんて期待していた。
でもよく考えたら、平成生まれって、平成のことたいして知らないんだよね。
いま平成のあいだに起こったことをさまざまな分野からまとめている『平成の通信簿』という本を読んでいる。バブルから現在までの株価のうごきや、人口の変動、はたまた魚の消費量など、いろんな数値をもとに平成の変遷をたどっていて、すごくおもしろい。
とはいえ、そういった「変化」は、平成生まれのわたしには初耳というか、あまり実感ができないことだ。
わたしが生まれたのは平成3年。でも物心がついて、それこそ社会のアレコレがわかるようになるのって、せめて中学生とかそのくらい。わたしが自覚的に生きて、経験してきたのって、ここ15年くらいでしかないんだ。平成3年生まれでも、平成3年のことは覚えてないしね……。
実は、平成元年、まだバブルに沸いていたことすら知らなかったんだよ。バブルは「昭和のこと」だと思っていたから。そんなもんなんだよなぁ、平成生まれの認識って。だってまだ生まれてないし、子どもだったし。
「平成」をつくり、生きてきたのは、実際のところ昭和世代の人々で、平成生まれはたぶん、「これから」をつくっていく人たち。
だからなのかな。平成が「終わる」と言われても、学校の卒業式のときに感じたさみしさや名残惜しさというものはとくにない。比較対象であるほかの時代を知らないから、平成に対する評価もできないし……。
むしろわたしは、「新しい時代がやってくる」というワクワクのほうが大きい。この世の中は、どう変わるんだろう。いったいなにが待っているんだろう。ひとりでも多くの人が幸せを感じられる社会になるといいな。
こんな感じ。
平成最後の日。ドイツのとある小さなカフェで、まだ読み終わっていない『平成の通信簿』でも読みながら、のんびりお仕事をしよう。
帰ったら? もちろんモンハン!!
じゃあ、またあしたね。
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