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「本質」という、優越感に浸れる言葉。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新134日目※

メディアは、「本質」という言葉が好きみたいだ。

わたしはいろんなウェブサイトをふわーっとチェックする……というかネットサーフィンが好きなわけだけど、ウェブ記事にはよく「本質」という名がついた記事がある。とくに、ビジネス系に多い。

「なぜみんな怒るのか?年金問題の本質」
「AIに奪われる前に知っておきたい仕事の本質」
「○○で気づいた、幸せの本質」

こんな感じだ。たぶんみんな、「あー見たことある」って思うだろう。

実はわたし、この「本質」という言葉はあまり好きではない。というのも、この言葉にはなんだか、多少の優越感が混じっているような気がするからだ。

「みんなはわかってないだろうけど俺はわかってるぜ」というような。

気づいていないことを、自分だけが知っている。だからモノゴトの「本当のところ」を俺が教えてやんよ、みたいな。

いやまぁ考えすぎだとは思うけどね。でも「本質」を理解するのなんて、そうかんたんじゃない。そして、自分にとってそれが「もっとも大事なことなんだ」と思っていても、他人から見たらそうは思わないことだってある。

だから「本質を教えてやるぜ!」っていうのは、なんかちょっとこう、優越感をもった人からの言葉のような気がしちゃうんだよなぁ。でもそれで多くの人が読むんだろうから、そういうタイトルにするのもひとつの戦略として理解はしてるけどね。みんなはそういう印象受けないのかな。

記事がおもしろければ別にいいけど。

読者の方はよく誤解しているけど、ウェブ記事のタイトルの多くは、編集者がつけている。少なくともわたしの場合、ほんの2、3のメディアを除き、これまでの寄稿記事のタイトルはすべて編集者がつけていた。

事前に「こういうタイトルで公開します」と教えてくれる人もいるし、公開されてから連絡がくることもある。そのあたりはメディアの方針とそれぞれの性格によってちがう。わたしはよっぽどおかしなタイトルでないかぎり、編集者の方を信じているので、口を出さない(基本的に不満をもつこともないし)。

で、たまに「本質」というタイトルがついていると、ちょっと気後れしてしまう。本当にわたしは「本質」に迫れていたのか? それはまごうことなき「本質」なのか? 見落としはないか? まちがっていないか?と。要するに、ビビるのである。

最初は「本質」なんて偉そうなこと思ってないよ〜!と焦っていたけど、でも最近は、「編集者からみればわたしは本質を突いていたんだな!」と思うようになった。それならそれでいい。つまり、「他人からしたら盲点になっている大事なことをわたしは伝えることができた」ということなんだから。

さて、みんなは「本質」というタイトルをどう思ってるんだろう。わたしみたいにいろいろ思うのは、少数派なのかな。

じゃあ、またあしたね。

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