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わたしの文章は、ひとりよがりなんだよ。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新104日目※

アルゴリズムってすごい。というか、怖い。

ちょっと服の通販サイトを見ただけで、その後の自動広告が洋服ばかりになる。なにかグーグルで調べた後にyoutubeを開くと、それに関する広告が流れたり……。

だからなのか、amazonのおすすめ本に、「文章術」系の本が現れることが多い。

「文章術」の本って、びっくりするくらいたくさんあるんだよ。まぁ物書きでなくとも文章術は汎用性があるから、それだけ多くの需要があるってことなのかもしれないけどね。

わたしも何度か手に取ってみたことはある。ライターとして、ある程度は読んどかなきゃいけないんじゃないかって思って。

でも、どうにもしっくりこないんだよな。なんだか、広場の中心で他人が一生懸命演説してるのを、「なんか言ってるな」って思いながら通り過ぎる通行人の気分。とくに心に響かないし、耳を傾けようとも思わない。

まわりの人たちは「他人の文章術」におおいに関心があるみたいなんだけど、わたしはない。なんでだろう。ライターとして、よくない気がする。

そこで、考えてみた。なんでわたしは、「他人の文章術」に興味がないんだろう。

それはたぶん、わたしにとって文章を書くという行為が、自分との対話だから。

文章を書くうえで、(よくないんだろうけど)わたしはあんまり読者の目線を気にしない。いや、最低限は意識するけどね。誤解させてしまわないようにって。でも基本的に、文章において「第3者不在」。いるのはわたしと、わたしの文章だけ。

わたしが「うまく書きたい」「有名になりたい」といった野心がないのも、それが理由だと思う。そもそも、わたしの文章は、だれかのためにあるわけじゃないんだ。自分のために、自分に向けて書いていることばたち。言ってしまえばひとりよがりのもの。

だから、「他人に伝えるコツ」としての文章術を求めていないんだと思う。

文章を書くことは、自分との対話だから。それを他人にじょうずに伝える必要なんてない。心の底で、そう思っているのかも。

ライターとしてそれはどうなん?とも思うけど、今のところこれでやってこれたのだから、まぁありといえばありなのかもしれない。

でもそうやってひとりよがりの文章を書くのであれば、せめて自分に対して素直にならないといけないよね。強がったり格好つけたりしたら、その瞬間わたしの文章は意味がなくなるもの。

素直に自分と会話するための手段が、書くこと。

だからわたしはとうぶん、他人様の文章術は必要ないかな。

じゃあ、またあしたね。

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