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修証義 第一章 (正法眼蔵)

時間は止まる事が無い、その時の中で条件が重なり集まって真実が見つかる。時代、人によって条件が違う其々の真実を持っています。
自分勝手な条件の積み重ねは唯の煩悩です。食欲、睡眠欲、性欲、名声欲様々な自分から出る条件でなく、事実や真実を集めてみましょう。真実には自分の汚れはないでしょう。
遥か彼方から受け継がれた命を今を生きる人達が手にしました。そこに偶然はなく必然的に尊厳があるのです。罪や罰とは又別の話です。全ての命を尊びます。
自分の都合で命はある訳ではありません。心臓から送られる血液、手足を動かす筋肉、体を作るためする消化、空くお腹、排泄物、意識、記憶、体の仕組みは自分の意見、都合無くあります。
与えられた命は、私と言う人格を成立させ持ちました。自分で選ばず、私の命選ばれましたが責任も荷物に加わります。今を生きる、自己責任。
善・悪は人の歴史、時代によって変わり作られて来ました。小さく見れば、貴方の善・悪は貴方の歴史、過去です。自我の無い命の過去、貴方に責任の無い悪も善もあります。又、自業自得の善もあります。
自分を汚すのは自分だけで、他人を清浄する事は難しいでしょう。自分で行動、聴き、詠い、書き、見て、自己責任で価値を選択しましょう。汚れないように綺麗な価値だと良いと思ったのならば、汚れた自分に負けずその価値を守り清くあるべきです。
人により汚れた物が綺麗な物になり、時代によって幸せが不幸へ変わります。他人を見ず己を見て、他人を抱きしめなさい。距離があると愛と言う言葉で届きます。

修証義とは道元禅師の正法眼蔵が再構築された物です。

上記は、修証義・第一章の私なりの解釈です。第二章の解釈も書くかも知れません。1番は私の為に書いていますが、同じ命を尊重して愛するあなたへも贈ります。

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