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日記 時間の流れ方が好きだった

2024年 2月12日  3連休の最終日

いつもよりは早めに目が覚めた今日、部屋に陽が眩しいほど差し込むのを見て、外の空気を吸って太陽を全身に浴びたい気持ちになり、お昼ごはんをそこそこに済ませ、支度をして自転車に乗る。そこから5分もしないうちに公園に着いた、14時ごろのこと。

そこは小さい頃から中学生くらいまで時々遊んでいた馴染みのある公園で、またこの1年少しくらいで気分転換に来るようになった。
遊具のある広場を横目に過ぎると、池の周りを囲むようにウォーキングコースがあり、鳥たちが泳ぎくつろぐのを眺めながら歩くことができる

わたしはそのウォーキングコース脇に点々と並ぶベンチのひとつに腰かけて、日向ぼっこする場所をそこに決めた、うん、やっぱり今日は春めいていて暖かい、陽を浴びるとパワー充電される


今日はバッグの中に1冊の小説を入れてきていた、心ゆくまで日向ぼっこする今日のお供だ。

小坂流加さんの「生きてさえいれば」


2022年に映画化された「余命10年」の作者である、小坂流加さんの2作目で最後の作品。
映画余命10年を観たときに合わせて2つとも小説を買い揃えていたのだけど、その当時は余裕がなくて「生きてさえいれば」のほうが積読になってしまっていた。ほぼ2年ぶりにページを開く。


印刷された活字をゆっくり、ときには一文を繰り返して、言葉の意味を咀嚼しながら読む。ここ1年と数ヶ月の間で心の調子を崩したからか、随分と読むスピードが遅くなったなと感じた。
集中力も以前に比べれば持たなくて、少しお休みを挟みながら読み進めていく。
どれだけのんびりでもいい、今日はそれを味わいにきたんだ


お休みの合間には周りの景色を眺めたり、池の噴水から水が弾ける音や、鳥の鳴き声に耳を澄ませた。連休中ということもあっていつもより人で賑わっているけれど、いつ来てもここは誰もが自由気ままに過ごすことを許してくれる空気がある。

目の前を通りすぎるお散歩中のワンちゃんと目が合った、可愛い…

穏やかな雰囲気を纏って、お話しながら寄り添い歩いているご夫婦は、なんだか2人とも服装が似ていた

4、5歳くらいの男の子が、ご機嫌で隣のお父さんに話しかけていた、お父さんも楽しそうに笑いかけている。
こんどは3歳くらいの女の子がトコトコ走っていって、その後をお母さんが優しくついていく。
その光景に自分を重ねて「わたしにはあんな将来があるんだろうか、いや、なさそうかも」と遠く眺めた。
そして、あの人が父親として小さな子と遊んでいる姿はこんな感じかなぁとうっすら浮かんで、考えるのをやめた。


1人は車椅子に乗って、もう1人はその車椅子を押して歩いている老夫婦のお2人もいた、愛だなと思った。



陽が傾いてきて、本も章が変わるキリのいいところに差し掛かったので、読むのを一旦そこまでにした。だけど帰るのは惜しくて、最後に池の周りを一周しようと立ち上がる

歩く途中で見かけた鳥たち
ねぇ君たちってもしかして白鳥?🦢




歩きながらぼんやりと色んなことを思う。


実家よりも、この公園のベンチに座る方がずっと居心地がいいこと
どこへ行こうと鬱憤の溜まる地元で、唯一好きな場所はここかもしれないって思ったこと
もうこの町に自分がいてはいけない気がしていること
でも、金銭的に考えてまだ出ていけないこと

将来のこと
わたしは母親にならないかもしれないこと
1人で生きていくかもしれないこと
(ここまでの様々な理由は省きます)
だけど先ほど見かけた夫婦のように、こういう穏やかな公園を寄り添いあって、心地よく歩ける相手がいるなら嬉しいなと思ったこと。

そして心を壊す前のあの頃からは、考えられないほどゆっくり過ごせている今のこと。





以前のわたしは
1人を楽しむ術を持っておらず、かといって家にいるのは嫌で、高校では夜遅くまで部活、大学ではサークル3つ、バイトも掛け持ち、それでも空いた日は友達と会っていた。立ち止まれる隙がなくひたすら動き回っていた。多少無理してでも、沢山の人と関わっていける自分に価値を見出して、その中でも好きな人との関係をどんどん深めていった、まるでのめり込むように、怖いもの知らずで無邪気に。
そんな自分は今より増して幼く、危うさも持っていたけれど、あれはあれで明るくて好きだった。あの頃の自分に戻ろうとあがいた時期もある。

でもあの頃のままならきっと知らなかった。昼間の太陽はまっすぐで力強く、暮れていく夕方のひかりは優しく暖かいこと。太陽が反射する水面はきらきらと綺麗なこと。鳥の鳴き声の爽やかさ。
そういう「自分から見つめようとしなきゃ見過ごしてしまう景色」に、気付ける目を持っていなかった。自分の胸の内に、1人気ままに過ごすからこそ癒される心があること、何かに熱中してずっと走り続けることの怖さ、立ち止まる時間がどれほど必要だったかもわかっていなかったんだろう


今日という1日は、一度心がばらばらに壊れて、また土台から作り直してきたからこそできた過ごし方だし、見つけることのできた景色でいっぱいだ。


べつに特別な予定なんてなんにもない日だけれど、そんな今日の時間の流れ方が好きだった。ひっくり返した砂時計を見つめるみたいに、陽が暮れるまでを過ごしていた。
これからも覚えていたい、また日々の荒波に揉まれても、今日を覚えていればきっとわたしは大丈夫。今の自分も好きになれる。



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