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明日へ向かって 87

「榎本さんと私の二人で全社に向けて説明をしていくということですね」
 話を聞き終えて希美は確認するように訊ねた。
 急な知らせに少し驚きもしたが、こうした変化を徐々に受け入れられるようにもなっていた。希美は落ち着きを払って榎本の話を聞くことができた。
「ひとつ提案なんだけど、城戸さんにも同行をお願いしてはどうだろう」
「賛成です」
 榎本の提案に希美は明るく答えた。
 希美は、城戸と榎本の三人の予定を調整し、いくつか候補日を設定した。訪問先との調整は榎本が行った。
 これで十二月から来年の一月いっぱいをかけて高津三河製薬の全ての研究所と事業所、計十五箇所を訪問する段取りが整った。
 榎本と希美にウェルネスプランの城戸を加えた三人で各所を回り、風土改革活動の紹介をしていくのである。
 本社や営業からラボまで高津三河製薬のあらゆるところを訪問する壮大な計画だった。急な依頼ではあったが、活動拡大のチャンスに希美と城戸は色めき立った。
 榎本も同じように喜んだが、ことの背景を知ってしまっただけに喜びだけが全てではなかった。
 榎本は、多喜田から直接知らされていた。全ては多喜田からの提案で進められていたのである。多喜田は直接話の通る所へは自ら電話し、繋がりのない所へは、あらゆる人脈を駆使して、風土改革活動の説明会を開催してもらえるよう説得につぐ説得を重ねた。
 そうしてあらかたの見通しが立ったところで多喜田は榎本に電話をした。多喜田はそのとき多くは語らなかったが、彼の切迫した様子から、榎本は多喜田が研究本部から退く時期が近づいていることを察した。
 ただ、研究本部長とはいえ、すでに組織の統合が実現している本社にこの話を通すのは至難の技であったに違いない。
 榎本は半ば多喜田の意気込みに圧倒されながら彼の提案を受け取った。榎本は、多喜田が言った、後は任せたよという言葉に込められた彼の意志を引き受ける覚悟を決めた。
 これから自分がどこへ異動になるのかは杳として知れなかった。だが、この会社にいる限りはどこへ行ってもこの活動を続けることはできる。そのことを、いまようやく榎本は自覚することができた。
 本社が多喜田の提案を受け入れたのには、ウェルネスプランの野村による講演が決め手になったようだ。
 風土改革に関する多くの著書を執筆し、ラジオやテレビ、新聞など多くのメディアに登場する野村の講演が、しかも本社で聞けるとあって、この魅力的な企画に本社陣営の納得が得られた。
 無論、これも多喜田の起案によるものである。多喜田は、残された時間と争うようにあらゆる交渉事を精力的に進めていった。
 自分でもこれまでの時間は何だったのかと思えるほど、手際よく話を進めていった。だが、これも限られた時間だからやれたことだと彼は理解した。本当に必要なことが何かは、そのときにならなければ分からない。まだ僅かでも時間が残されていたとことに、多喜田は感謝した。

 質量分析計が部屋から運び出された後のぽっかり空いた床には、ポンプオイルのシミが名残惜しさを表すように残っていた。かつて低周波と高周波が入り乱れて鳴り響いていた機器室は、装置が運び出される度毎に少しずつ静かになっていった。プローブやピークチューブといった装置の遺留品が、古代遺跡のように棚に残されていた。
 希美はかつてここで学んだことに思いを馳せていた。最初は何ひとつ分からなかったが、いまはひとりで実験を考えることができた。測定機器もひとりで操作できた。
 すべて長原から学んだことだった。いちから懇切丁寧に教えてくれた小夜子のことも思い出した。彼女がいなければ、いまの自分はきっとなかっただろう。彼女の指導があったからこそ、彼女が退職してからも、何とか長原とやってこられたのだ。

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