明日へ向かって 56
山本とは、ミーティング後の懇親会で互いの近況を報告し合った。
希美がオープンディスカッションの案内状を作成し、二十人もの研究員が集まったことを聞くと、山本は目を見開いて驚き、それはよかったと喜んだ。
しかし、回を重ねるごとに参加人数は減り、直近の回で自分を含め四人にまで落ち込んだところへ話が及ぶと表情は険しくなった。
「うちも同じ」
話を聞き終えた山本が口にした言葉に希美は驚いた。
「そうなんですか?」
あれほどエネルギッシュで、リーダーシップもあり、美容院の中でもかなり上の立場にある山本が旗振り役をしているのであれば、さぞかし活動も盛んだろうと思いきや、意外な反応が返ってきた。
「いや、俺も悪かったんよな」
そう前置きして山本は美容院での活動について話し始めた。
活動当初は、店を閉めてからほぼ全員が参加し、中には活発な議論ができた回もあった。テーマはその時々で、店の将来についてや顧客にどんなサービスを提供したいか、最上のサービスについてみんなで議論した。
ところが回を重ねるごとに、当たり障りのない発言が増えてきた。何か議論が対立することもなく、和やかで歯ごたえのない対話が続いた。そのことに違和感を覚えた山本は、ひとつ渇を入れるつもりで、もう少し身を入れた議論をしてほしいと意見した。
風土改革活動は、仕事とは無関係な内容でも想いのあるひとの集う活動である。したがって、興味のない者は無理に参加する必要はなく、出入り自由の活動である、と山本は皆に説いた。
「するとな、次の回からガクンと参加者が減った。それでも少人数ならもっと親身な議論ができるだろうと持ちかけてみたけど、一緒。むしろ前より悪くなったよ」
そこで何人かに山本がヒヤリングをすると、彼らから切実な訴えが返ってきた。
「私たちは一日でも早く一人前のスタイリストになりたくて毎日美容院に来てる。店をどうしていくか、顧客への最上のサービスより、どうしたらより早くスタイリストになれるのかの方が興味があります、オープンディスカッションに出ている暇があったら、本当は練習したいってさ。正直ちょっとガッカリしたよ。でも、たしかにそれが彼らの本音なんやよな」
美容師は、一人前として客の髪をカットさせてもらえるスタイリストになるまで、早くても三年はかかると言われていると希美も聞いたことがあった。
美容師資格を得るには、美容専門学校で学び、美容師の国家試験をパスしなければならないが、美容師の資格を得たからといってすぐさま美容院で鋏を握らせてもらえるかというとそうではない。一人前となるまでに、閉店後毎日何時間も練習し、休日も研修に費やされる。彼らにしてみれば、スタイリストになることはひとつのゴールである。専門学校時代から数えれば五年越しの夢を叶えるには一日でも惜しいに違いない。
「晴れてスタイリストになってもさ、次は後輩の練習に付き合わなくちゃならん。彼らの修行はしばらく続くし、とくに俺みたいな立場の人間とは見ている景色が違うんよな。そんなこと、言われてみれば当たり前のことやったかもしれん。でも、言われてみるまで忘れてたよ」
それでいまは一旦オープンディスカッションを止めてしまったという。落胆しきった様子で頭を振る山本の姿を見て、こうした苦難に直面した彼だからこそ、この世話人会を必要としたのかもしれない。希美はそう思った。
だが、それと同時に唐突なひらめきが希美の頭に浮かんだ。彼らの悩みを同時に解消できるアイデアがすっと頭に浮かんだ。
「山本さん、だったら同時にしちゃえばいいんですよ」
「えっ?何を?」
「練習とオープンディスカッションですよ」まだ腑に落ちない山本の顔を見て、希美は得意げに続けた。
「ほら、美容師さんって、お話しながらカットしたりするじゃないですか。だったら、オープンディスカッションしながら練習だってできるんじゃないですか」
「なるほど。でも、正直、作業に慣れていない新人さんだとそんな余裕もないし、話をしながら、ときおり先輩の指導が入るというのも何か妙な感じがするなあ」
そう言いつつも、顔には少し明るい表情が灯っていた。そのままでは難しいが、検討する価値はありそうだ。山本はそう思った。
「森下さん、ありがとう。もう少し考えてみるよ」山本がにこやかに頷いた。
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