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明日へ向かって 72

 FMラジオのヘビーローテーションに取り上げられるや、モスキートーンの「明日へ向かって」のマキシシングルは破竹の勢いで売れ始めた。
 ライブステージに現れる彼らへ向けられる声援は、以前までのそれとは明らかに異なってきた。大勢の観衆が彼らのステージを待ち望む、それは熱意のこもった声援だった。
 ホーリーレーベルへの問い合わせも殺到するようになり、捌ききれない返事をデイヴさんに代わってテツオも分担するようになった。
 一度廻り始めたホイールは止まるところを知らない。ついには大手出版社の音楽専門誌からの取材を受けるまでになった。これにはさすがの啓大も興奮した。
 テツオは三重の実家にCDと彼らのことが小さく紹介された音楽雑誌を一冊、該当箇所に付箋紙を貼って送ったが、返事は何もなかったようである。
 以前までは、ライブハウスからバンドごとの割り当て分のチケットを購入して自分たちでそれを売り捌いていたが、いまや彼らの元へはライブハウスからの出演依頼が殺到し、とても受けきれない状態にまでなった。
 しかも、それまでステージに立つために身銭を切らなければいけなかった立場から一転、ブッキングごとにわずかながらギャラが支払われるようにもなった。かといって、いますぐに仕事を辞めるわけにもいかず、それぞれが働きながらではどう頑張っても月に二、三回のステージがやっとだった。
「ブッキングの調整だけでも夜なべ仕事だぜ」とテツオが嬉しい悲鳴を上げていた。
 そんな折、デイヴさんから思わぬ提案を受けた。東京に出て来ないか、というのである。音楽雑誌に掲載されてからというもの、東京からの反響も少なからずあったが、いまのところ東京からのライブオファーはすべて断っていた。
 しばらくホーリーレーベルの事務所を間借りしながら、東京で活動してみてはどうかと言うのである。とてもありがたい提案であったが、すぐに答えの出せるものでもなかった。
 しばらく東京に拠点を移すとなれば、少なくともいまの仕事を続けることは難しくなる。第一、メジャーデビューならまだしも、地方のFM局で一曲取り上げられて、音楽雑誌に載せられた程度のことで東京へ出て行くとは、あまりにも無謀に思えた。
 しかし、チャンスであることには違いなかった。いま東京へ進出してライブ活動を精力的に繰り広げることで、もっと新たなチャンスが舞い込んでくるかもしれない。
 その頃から啓大の悩みはやおら頭をもたげ始めた。たしかにいまの段階で会社を辞めてしまうわけにはいかない。ただ、このチャンスをみすみす逃したくはなかった。
 メンバーの誰も口にはしないが、きっとみんなが思っているだろう。啓大は、自分が足枷になっているのだとしたら、それは自らの手で打ち砕かなければならない、と考えていた。
「俺はみんなと一緒にはついていけない」
 答えははっきりしていた。ただ、それを自分の口から言い出す勇気はなかった。そのうちもう少し経過を見守っているうち、もっと答えがはっきりしてくることを密かに期待していた。
 啓大は、自分がモスキートーンから去るときのことを考えると胸を締め付けられるような思いがした。ステージに立っていても、うまく笑うことができなくなっていた。
 チャンスに期待は通用しない。どれほど待っていようとも、チャンスはその影すら見せない。だが、時が来ればタイミングも何もない。突然現れるや、こちらの出方をじっと待っていてくれるような物分かりのいい客でもなかった。啓大は嵐のような出来事の中でただじっとうずくまっていることしかできなかった。

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