明日へ向かって 51
啓大に誘われて出かけたバンドフェスは、希美の想像を遥かに超える盛況ぶりだった。
重たい二重扉に仕切られたライブハウスの中は、学校の教室を少し大きくしたくらいの広さしかなかった。コンクリートの打ちっぱなしの白い壁で四方を覆われた怪しげな地下のアジトのようだった。
外の通路は二人が並んで歩けないほど狭く、壁に所狭しとフライヤーやポスターがベタベタ貼られている。古いポスターの切れ端が所々に残っているのを見て、希美はシールだらけの家の古いタンスを連想した。
舞台は希美の腰ほどの高さしかなく、舞台と客席の間は、金属製の手摺に仕切られているものの手を伸ばせば十分届くような距離だった。まるでミニチュアの世界に入り込んだかのような狭苦しい空間に、次々とバンドが現れては髪を振り乱し、汗を光らせて轟音を鳴り響かせる。曲自体はキャッチーで聴きやすいメロディーだが、バンドマンたちのライブパフォーマンスと観客のノリは、希美には大層激しく映った。
曲はそれぞれに個性があっても、ライブパフォーマンスと観客のノリはほとんど同じである。舞台と客席を仕切っている金属製の手摺は、バンドマンたちの足置き場であり、興奮した観客がよじ上がるポールになった。よじ上がった観客は、客席の方へ向って飛び降りて来る。これが聞きしにまさるステージダイブかと、興奮の眼差しで希美はそれを客席後ろの離れた場所から観察した。
啓大のバンドは、後ろから三番目だった。最後から二番目が東京からのゲスト参加で、最後のトリが海外からのゲストアーティストだった。最後にいくにしたがって観客の入りも盛り上がりも増していった。とはいえ、啓大のバンドも大層人気があるようで、中でもバラード曲のサビに差し掛かったところでフロアーから大合唱が沸き起こったときは、希美も胸が熱くなった。
普段会社で見る啓大は、希美にとって、少し頼りなげな大人しい若手研究員であったが、ステージに立ってギターを弾く様は、自信に満ち溢れていた。演奏中にバンドメンバーと交わす笑顔は、ライトを浴びて溌剌と輝いていた。
希美は、海外ゲストバンドの演奏を三曲聴いたところでひとの隙間を縫って出口へと向かった。
ひといきれで中は蒸し風呂のように暑かった。そろそろ外の空気が恋しくなっていた。
ライブハウスの外へ出るとすでに街の風景は夜の姿に変わっていた。
駅へ向かうひとの足、これから繁華街へ向かおうとする足、それぞれの歩行がアスファルトに散らばっていた。
その流れに踏み止まるように、客の呼び込み、チラシを手に配る足がその流れをときおり遮った。
まだ昼間の暑さは黒いアスファルトの上に残っていたが、それでもライブハウスの中よりは涼しく感じられた。
希美はひとつ大きく背伸びした。そこで初めて、お腹が減っていることに気付いた。いつもなら晩御飯を食べ終えている時間なのだから無理もなかった。
希美は、啓大に一言も挨拶しなかったことに少し気が咎めたが、今から中へ引き返す気にもなれなかった。また、連休明けに感想を伝えればいい。長原へも、どんなに啓大がステージで輝いていたかを報告しよう。最高のステージだったこと、フロアーからの歓声に迎えられた啓大がとても眩しく見えたことを。
それから、フロアーの大合唱に包まれたあのバラードのサビを小さく口ずさみながら、希美は人混みの歩みに加わった。
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