インプットの波にのまれそうなHSP
最近、情報源として、YouTubeを活用することが増えた。
アウトプット自体が気になって調べていたら、「アウトプット大全」の著者、樺沢紫苑さんの動画がヒットした。彼によると、何か思い浮かんだとき30秒以内にメモすることが大事らしい。人の頭の中では、アウトプットの元となるものが脳内で発火しては消えている。それは1分も経つともはやキャッチするのはかなり危い、と。
確かにアウトプットを意識するようになってからは、ふと浮かんだことが消えないうちに、とメモすることが増えた。後で書き留めておこう、と思ったことは書き出すまで繰り返し口で唱えてなければほぼ確実に消えていく。そんな消えゆく火の存在にも改めて気づけた。
発火したものを受け止めて、そこからアウトプットする。
樺沢さんのアウトプットの定義は、行動、話す、書くだった。
私に関して言えば、行動というアウトプットは前より確実に上手くなったと思う。
少し前の私は、どうしよう?と手詰まり感でいっぱいになったとき、気晴らしのためか、解決を自分の外側に見つけようとするためか、無意識のうちにインプットだけ繰り返すことが多かった。そして行動しなかった。
そういうパターンは確実に減った。
話すはどうだろう?
話すとなると、まさにいま話したいときに話せるという環境がいつもあるわけではないし、ちょっとデフォルトとなるには程遠い感じ。それでも、ここで口に出して話せるといいんだろうな、という意識があるし、少しずつ増えてきているように思う。
そして、書く。
これはnoteという場があることで、一歩一歩進んでいる。連続して投稿出来なかった、と思い再び投稿したら、2週連続!という励まし(?!)までもらえる。いつのまにか私の日常の片隅に存在するような仕掛けが、さりげなく散りばめられているのが心地いい。
自分としてはかなりいい感じだ。
それでも、アウトプットを意識すればするほど、いかに日々インプット量が多いか、改めて気付かされる。
仕事だけでもインプットが多くなりがちなのに、そこに自分の好きな、見る、聞く、読む、のインプットが入ったら相当なインプット量だ。
しかも、HSPだから、色んなことをキャッチしやすくて、黙っていてもどんどんインプットで溢れてくる。
これはかなりバランスが悪い。
だんだんと、いままでの自分は、インプットという溢れんばかりの水に浸って、酸欠寸前だったような気さえしてきた…息苦しい感じだ。
酸欠気味な自分…
いや、もっと言えば、酸欠酸欠と思い続けて、ひたすらさらに酸素を吸うように、情報や刺激を吸って吸って、インプットして、パンパンに膨れ上がっていたのが、これまでの私の身体だ。そんな気がする。
それが、息を吐き出すように、少しずつ、でも確実にアウトプットして、外に出していった。だから少しずつ楽な感覚を味わえているのかも。
インプットとアウトプットのバランス、そして、その循環が私にはもっと必要ということかなと思う。
酸欠気味だった自分を感じるようになった。
自分と一体化していて気づきすらしなかったいろいろな感覚を味わっている。
今はそんな発見が面白い。
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