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引っ込み思案な私のアウトプット効果

はいはい、とクラスで積極的に手をあげて発言する人。
友達数人で話していると、ねえねえ聞いてよ、と割り込んで話し始める人。

私はどちらも苦手だった。なぜ私私って主張するのか、不思議だった。

でもアウトプットを積み重ねてみると(まだ短期間だけど…)、なぜ私私というのか、いえるのか、わかってきた気がする。

私を出して誰かに受け止めてもらえると嬉しいのだ。とてもシンプル。
そしてその行動の手前には、私が表現したことは受け止めてくれる、という私が生きる世界に対する信頼がある。

誰かが受け止めてくれる、と思ったら、ひとりでずっと内に抱え込んでいるよりもアウトプットしたほうがスッキリするし安心した気持ちになる。

これは幼いときに親子とか、近しい大人との間でやらなくてはならないことだ。私の家では決定的に欠けていた。私は親の話はよく聞いて受け止めたが、逆はなかった(完璧なアダルトチルドレンです…)。

意識して自分の思いをアウトプットするようになってから、自分の育ちで足りないところは案外自分で育てることはできる、と思い始めている。

もう少しかかるとは思うけど、この世界は、“いつも受け止めてくれる私”というもうひとりの大人が存在する世界、と心の底から思えたとき、私自身も、私、私と手をあげたくなるかもしれない。

誰にも受け止めてもらえない、と思って引っ込み思案になっている子どもやかつての子どもの存在を受け止める立場にもいるが、今よりもっと自分の感情や思いの受け止め上手になったとき、サバイバーとしての経験と成長は私にとってのギフトになる。
そんな確信が湧いてきている。

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