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実はギリギリなことに気づいたHSP⁉︎

私はHSP(Highly Sensitive Person とても敏感で繊細な人)だ。
最近HSPという言葉が説明しなくても伝わる人には伝わるぐらいの認知度になってちょっと驚いている。

私自身は、職業柄ということもあり、ずいぶん前から、私はこれだなあと思っていた。敏感で繊細な人なんだ、とわかっても、そもそもHSPは病気っていうわけでもないし、さほど困ってないなあというのが本音で、それ以上自分のこととしては掘り下げようという気持ちがなく興味がなかった。

困っていないのには理由があった。
環境が大切ということはいつも実感していたので、自分が困りそうな環境は出来るだけ変えて避けてきた。

これは海外に出たことも影響している。海外に出るたびに、わたしの困りごとは私のせいではなく、環境の影響だ、と思わされる場面がたくさんあったからだ。

ただ、ここでアウトプットについて考えるようになってからというもの、実は、確かに困ってないけど相当ギリギリでは?と最近思うようになってきた。

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支援者としての経験年数が増えて、担当出来るケース数が増えるのは普通のことだ。そして、よりよく関わりたいという思いから、経験でカバー出来る分、自分なりにさらに向上心を持ちながら勉強をしてスキルアップしようというもあるあるだ。

でも多少は経験から楽になっていくはずが、特にここ1、2年はメンテナンスをしていてもギリギリだなあと思う。

考えてみれば、世の中、日々キャッチする情報が増えた。もちろん、人ひとりに関する情報も増えた。

ネットで専門的知識までもが簡単に収集出来る。それも世界規模で。
そして、ネット上で関係者同士がたやすく連絡連携できるようになったお陰で、かつては、この方にそんなことが起こっていたなんて知らなかった〜、というタイムラグが圧倒的に減った。色んな働き方(パートからフルタイムはもちろん、昼夜様々な時間帯で動いてる人まで)をしている人同士が空間と時間を越えて繋がっている。

これは、ひとりの支援者の視点から見れば、支援している人に関する情報量が増え、それに伴って、支援者として関わるため考える時間が増えていることになる。

しかも、私はもともとあらゆる細かな情報をキャッチして深く考える傾向がある。だから明らかに私の脳がオフになる時間が減った。同じことをしていては、メンテナンスとしては足りてないことに気づいたのだ。

支援者として先に進むための、過去の自分の癒しとはまた異なるニーズ。

これはHSPという気質ゆえ?
ふと自分がそうだったと思っていたことと結びついた。
ああだから、私の中で大事と思い始めているアウトプットも、多忙になるとあっという間に置き去りにされるのか。

そう思ったら、ゆとりがまあまああるかな、と自分で思っていたあらゆることが、そもそも非HSPの人から見たら全くゆとりのない状態なのでは?と思い始めた。

HSPである私が、情報が増え続けてそれに圧倒される世の中の流れの中で、支援者で居続けようとしたら、それなりの工夫が必要なのだ。虐待サバイバーとしての癒しとは別のものが…。
もともとギリギリだったのに、ギリギリな自分にやっと気づくゆとりが持てただけなのか⁈

まあそれでもいいか。
何時も小さな気づきから始まる。

アウトプットを再開したら、目の前の霧に気づいた。でも、霧の向こうには明るさも感じる。
だったら前に進むしかないかな。

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