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サバイバー支援者とアウトプット

生きづらさを感じてきた人ほどアウトプット!
ここで言うアウトプットは、どこかでプレゼンするとか、ペーパーにまとめるとかではなく、主に自分の感情や思いを表出することを指している。

自分がどう感じたか、どういう気持ちか。
これまで自分が聞いてほしいときに家族は聞いてくれましたか?自分で自分の内なる声に耳を傾ける機会はどれぐらいありましたか?

私自身は、家族や自分自身との関係で言ったら、1対9ぐらい。
全くなかったわけではないけど、ほぼ自分がアウトプットする時間はなかったという感覚。9割ぐらいは誰かの聞き役、受け止め役だったと思う。

私はサバイバーだけど、支援者でもあるので、支援者として自分を理解する取り組みもしてきているし、頭で理解していることはたくさんある。
でも、いつも、公的な自分、と向き合ってきただけな気がする。これまでしてきた数々のアウトプットは、課題解決のためだったり、公的に動く自分のため、という限定をどこかでしていたかもしれない。

でも、結局人によるよね、というセリフが支援の現場ではよく飛び交うように、人としても成長した支援者になるには、公的以外の自分とも向き合わなくてはならない。思えば、仕事と関係のないこと、だけど自分事、といえることのアウトプットをどれほどやってきただろうか?

このインフォーマルな、いい意味で無責任になれるnoteという場を使って感情や思いをアウトプットすることは、自分の中で想定していた以上に意味があって深そうだ。自分の中で忘れ去られていたことや固く留まっていたものが、溶け出してきそうな気がする。

アウトプット、どんとこい!
じゃなかった。アウトプットなんだから、どんと出ていけ!か…笑笑

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